Hobby[Model]-鉄分が多い モデル。




小田急電鉄【荷電・通勤型】
デニ1000形1001 更新後
デニ1300形
更 新後
所属数1輌
所属数:3輌
発 売メーカ:鉄コレ 弘南鉄道3600系改/小田急TRAINS(トミーテック)

編 成:
← 新宿
デ ニ1302+デニ1304+デニ1303+デニ1001

Now  Printing
作 業内容:
・パンタグラフ交換 (→Tomix製PT4212-AM)
・デニ1302動力化(鉄コレ動力16m級A)
・デニ1304Nゲージ化(動力同封金属車輪及びウェイト追加)
・連結間隔の縮小化
・両運化(デニ1001)

■今後予定:
・L字アンテナ搭載(デニ1300非パンタ側/デニ1001)
・側扉増設(デニ1001)
・前面交換(デニ1001)


 デニ1300形は1927年、小田原線複線化完成と共に小田原急行モハ151形 として4輌が誕生。
大東急時代にデハ1250形に改番され、分離独立後にデハ1300形に再改番。
車体更新を経て荷電へと用途変更された後も小田急戦前型(HB車)最後の生き残りとして、1984年まで荷物輸送に従事。
元帝都電鉄の貴重な生き残りだったデニ1001と組んで走る姿もよく見られました。
車体は切妻16m級ながら、車体更新によりアルミサッシと1.5mの大きな両開き2扉という近代的な車体を持つ、小粒なれど渋くて格好良い電車。
1975年に小田急2100形の制御機器及び台車を譲り受け、性能的にABF車となっていたようです。
廃車後は1301が東急車輌の牽引車になった他、1303が1991年まで保管されていましたが結局解体となっています。

 デニ1000形は1927年に小田原急行モニ1として4輌が製造。当初は13mの小型車でした。
この内モニ3・4が残り、大東急時代にデユニ1000形1001・1002へ改番され、更に1900形への編入で余剰となった1500形初代(元帝都電鉄モハ100)の車体を流用し大型化されました。
1971年には郵便輸送廃止に伴いデニ1000形に改番、1001のみ2100形より台車を譲り受けています。76年には1002が廃車となりましたが、1001は1984年の小田急の荷物輸送廃止まで活躍。
帝都電鉄由来のスマートな車体を残した貴重な生き残りでしたが、残念ながら用途消滅後廃車解体となっています。


 Nゲージ界では通勤型、特急型の華やかさの陰に隠れていたせいか中々製品化されませんでしたが、遂に今回鉄コレモデルとしてあの小田急トレインズ企画の元で、往年の名脇役デニ1300形が塗装済み製品化。
しかも特有の軸距離を再現する為専用動力まで同時発売する凝りっぷり!こんな車両まで完成品で手に入るとは、本当にいい時代になったものです。
 デニ1300は当初2輌を導入しましたが、後日運良くもう1セットを入手。
4両中1両を更新後のデハ1300形に復元して、余る台車は東急の「緑色の電車」製造計画で余った3600のジャンク端財を活用してデニ1001モドキとして化かしてみる事にしました。


 
1300形・1400形更新後
"HB 車"
所属数:5輌
発売メーカ:トミーテック(鉄コレ第8弾・越後交通1400改造)/小田急TRAINS

編 成:
← 新宿
デハ1400-クハ1450+デハ1400-クハ1450+デハ1301

Now  Printing

■作業内容:
・パンタグラフ交換 (→Tomix製PT4212-AM)
・デハ車体をクハ用に交換
・編成中間のデハ動力化(鉄コレ動力16m級)
・他4輌のNゲージ化(金属車輪及びウェイト追加)
・連結間隔の縮小化
・尾灯運転台側移設
・方向幕表示機取付(GM小田急2200形用)
・塗装剥離

今 後予定
・ジャンパ線追加
・貫通路渡り板追加
・手すり追加
・再塗装(越後交通色/小田急荷電色→ブドウ色)


 アイコンは1300で代用(汗
1400形は小田急創業以来走り続けてきた小田原急行モハ201型を車体更新の上生まれた形式で、総数は35輌。
更新後も32輌と当時としては大所帯の車両群でした。
1300形や1200形等と共に制御方式から「HB車」の名前で呼ばれていたグループで、最晩年は茶色の片開き2扉、16m級の車体にPT42パンタを振りかざし、3〜6輌で小田原線・江ノ島線ローカル末端区間での鈍行運用をこなしていたようです。
4000形初代に主電動機を供出の為1968年に全車が除籍。廃車後は越後交通と新潟交通に一部が譲渡の上、長年活躍しました。


 
Nゲージではいささか渋すぎる題材だったようで、現行通勤型、特急型の華やかさの陰に隠れなかなか製品化されませんでしたが、遂に鉄コレレーベルで"ほぼ原形"の越後交通1400形が発売。しかし古い車輌故か不人気だったようで安く買えたのは嬉しいやら悲しいやら……。
越後交通へ譲渡された後デハが両運化されている為、友人とトレードして片運のクハ車体を入手の上、連結面の尾灯台座の前面への移設、行燈式方向幕の追加を実施して晩年仕様っぽく改造中。
1400形のみで4輌編成の予定でしたが、デニ1300セットを追加で1セット入手できた為、内1両を旅客運用をしていた頃のデハ1300形として復元し、5両編成を組ませてみようかと。
 

 
1600形更新後
"ABF車"
所 属数:6輌
発 売メーカ:トミーテック(鉄コレ第6弾)

編 成:
← 新宿
デ ハ1600-クハ1650+クハ1650-デハ1600+デハ 1600-クハ1650

Now  Printing
■作業内容:
・パンタグラフ交換(→Tomix製PT4212-AM)
・編成中間のデハ動力化(鉄コレ動力16m級)
・他7輌のNゲージ化(金属車輪及びウェイト追加)
・連結間隔の短縮化

■今後予定
・未定


  実車は小田急電鉄戦前の名車と名高い車両。関東型窓配置の先駆でもあり、16m級の小柄な車体に大きな窓が並ぶ側面は今でも軽快感も感じさせます。
今のロマンスカーの始祖である戦後直ぐに走り始めた"復興整 備列車"に抜擢さ れたのもこの車両でした。また、この1600形から特急型1910形、軽量車 体の試作車的存在だった2100形までの車種は一括して制御 器型番か ら"ABF車"と総称され、同系列、もしくは異系列同士で相互に編成を組んで いたようです。
何度かの更新を経て晩年はアルミサッシ側窓・プレスドアの片 開き3扉16m級 の車体にPT42パンタを振りかざし、車幅・車体長の異なる1900形と組ん で最大8連で急行に各停にと運用されていたようです。


 Nゲージとしては渋い題材だったか、ようやく鉄コレで完成 品が製品化。
当初ハコ買いで2+2の4連と考えていたのですが、格安で動 力付き4連を中古 屋にてゲット。
急行運転の最大6連が組めるようになりました。
 

 
1800 形更新後

所属数:9輌

発売メーカ:ト ミーテック(鉄コ レ第9弾+小田急1800形最終編成セット)


編 成:
← 新宿
デ ハ1800-クハ1850+デハ1800-クハ1850+デハ 1800-クハ1850+デハ1800-クハ1850

Now  Printing

■作業内容:
・パンタグラフ交換 (→Tomix製PT4212-AM)
・連結間隔の短縮化
・動力化


■今後予定
・金属車輪交換・ウェイト追加
・第9弾と製品版の車体再塗装?


 実車は1946年鉄道省より旧63系電車の製造割り当てを 受けた車輛、及び 1950年の戦災復旧車輛で、小田急(当時は東急小田原線)初の20m級通勤 電車。
大東急分離時に6輌が相鉄へ(→相鉄3010系)移籍する も、運用制限が厳し く持て余していた名古屋鉄道(名鉄3700系[初代])から同数を譲り受け、 更に1950年には国鉄の戦災復旧車2輌(モハ60050・ モハ40004) を購入、仕様の差異から1820形として復旧し総勢22両が出揃う形になりま した。
 1957年からは車体更新が行われ63形譲りの平妻ながら も小田急顔の全金 車体に生まれ変わり、同時に1820形も仕様を統一の上編入(デハ 1811-クハ1861)されました。
更に台車のコイルばね化・ブレーキシリンダを台車装荷化、制 動装置の電磁直通 ブレーキ化等々数々の近代化更新を受け、 遂に1969年には4000形との併結によるラッシュ時8連 急行運用に就く事になりましたが、空気ばねの4000形と金 属ばねの1800形では足並みが揃わなかったか73 年に連続して脱線事故が発生し、以後引退する1981年まで単独で4連半固 定、または2組繋げた8連を組んで運用されました。
小田急除籍後は全車が秩父鉄道へ800系として移籍し、 国鉄101系改造の1000系が入線するまで同鉄道の近代化に貢献しました。


 模型は鉄コレの第9弾にて製品化されたものと、後に4連固 定化された後の" 最終編成"と銘打たれた4輌セット。
第9弾の仕様は貫通扉が交換前・クハの貫通路に扉付となる 為、厳密には 1969年(制御器・抵抗交換)以前の仕様、4輌セット側は先頭に出る運転台 の貫通路が大窓仕様に交換、制御器交換後の晩年仕様。なぜか 第9弾版と4両編 成セットだと車体の色味が異なっており、混結に若干難があるのが玉に傷。
一応単品でセット版のデハをもう1輌入手済で、再塗装の上で 晩年の4連・8連 を再現してみたい所です。
実物では相性が悪く、脱線事故が発生してしまった4000形 との併結8連急行 ですが、マイクロエースで製品化されていた"お買いもの号"4000形を塗り 替え、当時の輸送力列車に思いを馳せるのもまた一興でしょう か。
 

 
1900 形後期型更新後

所属数:8輌

発売メーカ:ト ミーテック(鉄コ レ)


編 成:
← 新宿
デ ハ1911-クハ1956+デハ1912-クハ1957+デハ 1913-クハ1958+デハ1914-クハ1964

Now  Printing
■作業内容:
・導入済
・動力化

■今後予定
・金属車輪交換・ウェイト追加
・運転台側連結器TN化
 


 実車は1949年、大東急からの分離独立後初の新製車とし て運輸省規格型の 元に2連×10本の20輌が製造。
車体こそ一回り大きくなりましたが、性能的にはそれ以前に登 場した1600形 と全く同一の仕様です。
 姉妹系列には特急専用セミクロスシート車の1910形 (→2000形)が存 在し、"小田急ロマンスカー" 専用形式はこの1910形が初となります。こちらは1956年に一般車へ格下げとなり、1900形に編入されました。
 旧性能車ではありましたが、比較的車歴が若かった事や 2100形と同様に車 体が比較的大きめで収容力が大きかった事が幸いし、ABFM車が出揃ってから も細々とローカル運用で活躍を続け、最晩年には多摩線にも足 跡を残しました が、4000形初代の製造の為に主電動機を供出する事となり、1976年に全 車が運用を離脱。
廃車後、一部車体や台車が富士急行・岳南鉄道・大井川鉄道・ 伊予鉄道へと引き 取られ、主電動機を再装備して各鉄道の近代化に貢献しました。


 模型は毎度おなじみ鉄コレ製品で、前面の雨どいが曲線に なった1953年製 の後期型晩年仕様がモデル。
1910形が小田急オリジナルとして鉄コレ化され、出ないか なーと考えていた らやっぱり出てしまいましたねぇ。
1600に比べて大きな車体に小さな窓がどこか垢抜けず、シ ルヘッダ有の旧態 然とした車体にアイボリー地にロイヤルブルー帯を締めた新塗装のいで立ちは厚 化粧も感じさせ、正直現代の小田急車に通じる「スマートさ」 とは掛け離れてい ますが、実車を見たことがなくとも不思議と魅力を感じていた車両です。
8連で急行運用、4連や2連でローカル運用を楽しもうと考え て一挙8輌を導入 することにしましたが、実は後期型は2輌×3編成が製造されたのみ。
あと1編成は後期型と同等の車体で製造された1500形編入 車が2輌だけいた 事を思い出し、何とか事なきを得たのでした(苦笑
 

 
2200形更 新後
"ABFM 車"

所属数:10輌

発売メーカ:ト ミーテック(鉄コレ第3弾)


編 成:
← 新宿
デ ハ2200[奇]-デハ2200[偶]+デハ2200[奇]-デハ 2200[偶]+デハ2200[奇]-デハ 2200[偶]
デハ2200[奇]-デハ2200[偶]+デハ 2200[奇]- デハ2200[偶]

Now  Printing
作 業内容:
・全奇数車パンタグラフ交換 (→Tomix製PT4212-AM)
・運転台側連結器TNカプラ搭載(一部非搭載)
・編成中間の奇数車に鉄コレ動力(18m級)搭載
・連結面間隔短縮化改造

■今後予定
・全車列車無線アンテナ搭載(付属パーツ)


  実車は日本初のカルダン駆動車走行テスト「相武台実験」の結果を礎として製造された、後の小田急新性能通勤車の基礎を作り上げた最初のグループ。
特に2200形は特有の非貫通2枚窓(所謂湘南型前面)か ら"ネコ"の愛称を持 ち、更に小田急唯一 の直角カルダン駆動の響きを奏でていた車両。また制機器の形式から、18m級 新性能車を総称して「ABFM車」または「FM車」と呼ばれ ていました。
多摩線での2輌から分割急行ブツ4、本線での各停・準急のブ ツ6、全車 ABFMによる急行ブツ10、そして20m級を従えての湯本急行運用etc… と単独や混結で編成の妙を楽しめる、中型車ならではのコロ コロとした雰囲気が可愛いかった小田急の名脇役。
小田急からは1984年に除 籍されましたが、車歴 が比較的新しめであったことと17.5m級の車体が買われ、 富士急行に一部が移籍の上で93年まで活躍しました。


 模型は鉄コレ第3弾にて製品化されたもの
長らくNゲージではGMの京急1000キットから改造(綺麗 に作れたとしても車幅が広すぎ&窓が大きすぎて大分雰囲気が 異なる)するしか なかったのです が、後にクロスポイントより本形式のキットが登場……とはいえあまりにも値が 張りおいそれと手を出せず。
そんな中電撃発表された鉄コレ版はクロスポイントより廉価な うえ、なかなかの出来の良さにあれ よあれよと増えま くり、ABFM系だけで6輌2本が組めるまで増えてしまったのは、実車最晩年 を見て育った小田急好きとしては致し方ない所かと(汗
6連それぞれに動力を入れ、2400や5000の相方として 最大10連で楽しんでおります。
更に追加で在庫が見つかったため、現行色へ変更の上運用復帰 させたいと思いま す。
 

 
2220形更新後
"ABFM車"

所属数:12輌

発売メーカ:ト ミーテック(鉄コレ第3弾・新潟交通2220形)


編 成:
← 新宿
デ ハ2220[奇]-デハ2220[偶]+デハ2220[奇]-デハ 2220[偶]+デハ2220[奇]-デハ 2220[偶]
デハ2220[奇]-デハ2220[偶]+デハ 2220[奇]- デハ2220[偶]
+デハ 2220[奇]-デハ 2220[偶]

Now  Printing
作業内容:
・全奇数車パンタグラフ交換 (→Tomix製PT4212-AM)
・運転台側連結器TNカプラ搭載(一部非搭載)
・編成中間の奇数車に鉄コレ動力(18m級)搭載
・連結面間隔短縮化改造
・富士急仕様の塗装剥離&屋根板交換
・新潟交通仕様改造前面の原型化

■今後予定
・塗装剥離車・前面原型化車の小田急塗装復元
・一部列車無線アンテナ搭載(付属パーツ)
・新潟交通社紋削除、OERロゴ貼付


 2220形は2200形の成功と主電動機の小型・大容量化 が技術的に可能に なった事を受け、いわゆる"小田急顔"の4輌固定編成として登場。
この形式で確立された住友系アルストムWNカルダン駆動台 車+三菱系 主電動機&制御機 器は、後の小田急通勤車の基本仕様として長く続く事となります。
後に2400形HE車の登場により増結用として改造を受け 2200形と仕様を揃え2両固定化され、2200形を中間に 組み込んでの6連本線各停運用 や、2220形単独 で4連を組んでの多摩線区間運用、時には20m級を従えての堂々10連急行運転もこなしていました。
実は最晩年に5200形だけではなくチョッパ車8000形と の連結 実績もあったりする、2200形と並んで小田急の名脇役。
小田急からは1984年に除籍されましたが、車歴が比較 的新しめであったことと17.5m級の車体が買われ、富 士急行・新潟交通へ一部が移籍の上で富士急行では 1993年まで、新潟交通では1998年まで活躍しまし た。



 模型は新潟交通へ1編成のみ譲渡された2220形 「2229-2230」の模型化 (通常品)。
細かい事を言うと側面の新潟交通のマークをOERロゴに修正 が必要なのですが、現時点では資金不足の折そのままです。
出来の良さにあれよあれよと増えまくり、ABFM系だけで6 輌3本・4輌1本が組めるまで増えてしまったのは、実車最晩 年 を見て育った小田急好きとしては致し方ない所かと。
6連・4連それぞれに動力を入れ、多摩線での単独4連や 2400や5000の相方として 最大10連で楽しむ予定。
更に追加で在庫が見つかったため、現行色へ変更の上運用復帰 させたいと思いま す。
 

 
2400 形更新後
"HE車"

所属数:4輌

発売メーカ:マ イクロエース (A2481)


編 成:
← 新宿
ク ハ2453-デハ2403-デハ2404-クハ2454

Now  Printing

作 業内容:
・小田原方クハ2454にTNカプラー搭載
・連結面の間隔調整(GMナックルカプラーへ交換)


■今後予定
・パンタグラフ交換? (→Tomix製PT4212-AM)
・車内塗装


 実車は1959年に近郊区間の輸送力増強を目指して登場。
2200形を始めとした高性能通勤車の誕生でダイヤの密度を 高める事には成功 したものの、これら初期の高性能車は全軸駆動車であり新造コスト・保守コスト 増を招いた為、性能はそのままに経済性を重視して設計。
結果、 MT比率を1:1とした上で高加減速機能を持たせた、当時としては非常に先進的な通勤車となり、High Economical Car="HE車"の愛称が設定されました。
また、Tc車を16m級、M車を19m級とすることで粘着力 及び収容人数を増 やす等、大型車(20m級)4輌が組成できなかった時代の苦肉の策が随所に見 られ、また制御器の基本システムについては、後の5000形 でも改良発展型が 使用される事となりました。
登場当時は2編成併結の上でラッシュ時の切り札として、 20m級車輛登場後も 箱根登山線内の有効長の関係で長らく箱根湯本直通急行として活躍。
晩年は多摩線や江ノ島線・小田原線の末端区間各停運用をこな しつつ1989年 に全廃。主電動機は初代4000形の新性能化更新用に流用されました。現在で は辻堂海浜公園にてTc用台車であるFS30が保存展示され ています。

  模型はマイクロエースにて製品化された新色編成。
幼少の頃、湯本急行の先頭や多摩線のローカル運用等によく就 いていた事を思い 出しつつの購入でしたが、連結面が広すぎて興覚め。
通常の連結器ではどうにも治らない為、標準のアーノルトカプ ラーをドローバー 化する加工を行い、連結面の短縮に成功したものの今度は一部で車間が詰まり過 ぎ車輛同士がぶつかる始末。
最終的に通常カプラー受けにグリーンマックスのナックルカプ ラーを挿入し、よ うやく納得のいく仕様になりました。
 

 
2600 形冷房改造後
"NHE車"

所属数:12

発売メーカ:マ イクロエース (A0114改・A2185)


編 成:
← 新宿
クハ2651-デハ2601-デハ2701-デハ2801-サハ 2751-クハ2851(A0114改)
クハ2672-デハ2622-デハ2722‐デハ 2822-サハ 2772‐クハ2872(A2185)

Now  Printing
作 業内容:
・新宿方クハ2651先頭側TNカプラ搭載
・A0114中間2両を引き抜き、6連化、改番(余剰車は4000形 へ移植)

■今後予定
・パンタグラフ交換 (A0114改→Tomix製PT4212-AM)
・スカート交換(→3Dパーツ交換)
・新宿方クハ先頭側TNカプラ交換
・ クーラー交換?(GM製)


 実車は1964年から製造された、現在の小田急電鉄20m 級通勤車の基礎を 作った車両。
主に近郊区間の輸送力増強を重点に置いて設計され、またHE 車の経済性思想を 受け継ぎ、MT比1:1、抵抗制御でありながら回生制動付という当時としては 画期的な省エネ通勤車となり"NHE車"の名がつけられまし た。
基本6輌単独での各停・準急運用が主でしたが、1983年以 後は当時旧性能車 だった4000形を除いた他形式と併結が開始され、10輌の急行運用にも従 事。
最晩年には輸送形態の変化から一部編成が更新と同時に8連固 定化 (6M2T)。更には8連化による余剰T車をVVVF制御化の上で8連化 (4M4T)した編成も登場しましたが、計画が変更され後継 の3000形増備 が推し進められる事となり、残念ながら2004年に廃形式となっています。
現在では辻堂海浜公園にてクハ2658が、喜多見検車区にて クハ2670がそ れぞれ静態保存されています。


 8両編成仕様は、私が購入した初のマイクロエース完成品。 そしてマイクロス パイラルにハマる一因ともなった真に罪深き車輌w
こちらはマイクロエースが鉄道模型へ再参入した頃に発売され た非冷房登場時の 5両仕様と同時発売された製品で、幼少の頃から実車を見てきた身としては、晩 年の8連化後(いわゆるN8)の模型化である事をはじめ、要 所要所の形状把握 等に不満がありました。
やはり見慣れた姿は冷房化後の6連の為、A0119から中間 車2両を引き抜 き、更に動力車位置をA2185と同じ位置へ変更の上で原型6連の第一編成へ 復元することに。
動力も最初期製品なので、フライホイールが無い割に動作はス ムーズとはいえ ど、後年小田急トレインズ様のご厚意で別売された5000形用動力ユニットへ 変更も考えています。

もう一方の6両編成は後年の改良新製品で、2600形の最終 増備車の模型化。 問題のあった部分がほぼ修正され、大分記憶の中の同車に近い雰囲気になりまし た。
 
 

 

4000 形(原型/新色・冷 改&新性能化後)

所属数:33輌

発売メーカ:マ イクロエース (A0115・A0116・A2176)
トミーテック鉄道コレクション(小田急4000形初代冷改4両セット)


編 成:
← 新宿

ク ハ 4257-デハ4207-デハ4307-デハ4407-デハ 4507-クハ4557(A0116)
クハ4251-デハ4201-デハ4301- デハ4401- デハ4501-クハ4551(A2176)
クハ4260-デハ4210-デハ4310- デハ4410- デハ4510-クハ4560(Tt製改)
クハ4058-デハ4008-デハ4108-ク ハ4158(Tt 製
)
デハ4022‐デハ4122‐クハ4072+ デハ4014- デハ4114-クハ4064(Tt製改)
デハ4012-デハ4112-デハ4212- デハ4312- クハ4062(A0115改)


Now  Printing
作 業内容:
・Ma製クハ4257先頭側TNカプラ搭載
・Tt製先頭側TNカプラ交換
・Ma製2600中間車を挿入し5連化、Tc台車交換
  (→MA製KTR3000より/中間A0115改/台車PV化/床下機器交換/冷房除去)
・Tt製M車台車交換(→Tt製TS807&PV701代用)
・非冷房通風機購入
・非冷房鎧戸袋窓購入
・非冷房扇風機カバー購入(一部)
・Tt製動力化実施(3連・6連)
・Tt製6連化パンタ台除去他



■今後予定
・Ma製パンタグラフ交換? (→Tomix製PT4212-AM)
・Ma製スカート正規品交換(3Dプリンタ製)
・Ma製小田急用新動力交換(A-0116のみ)
・Ma製吊り掛け仕様5連化(A0115一部挿入、通風機設置/パン タ位置移設、追設 工事/塗装変更)
・Tt製吊り掛け3連クーラー取り外し&通風機設置工事
・Tt製吊り掛け3連新宿方先頭車へ屋上配線、中間運転台側連結器 TN(or KATO車体マウント?)化
・全先頭車スカート交換&取付(3Dプリンタパーツ)
・戸袋窓着色化(Tt製・IROMIZU使用)


 実車は年々激化する混雑に輸送力増強の一環として、それま で使用されたきた 小型で収容能力が低いHB車・ABF車の代替として主電動機と一部機器を HB・ABF車から流用の上、その一方で2600形と同等の 20m級大型車 体、軽量なパイオニアV台車、M-M'ユニット化の上新たな制御器を新造し 1966年に登場した車輛。
  経緯から"NHB車"との名称もありますが、性能的にはABF車です。

 似たような経緯を持つ「釣り掛け駆動の更新車」は、当時の 私鉄各社に存在し ましたが、車体こそ新造でも台車や制御機器を流用した物が大半であり、台車や 制御機器まで新造した例は南海の1521系、後はこの小田急 4000形位だと 思われます。
日本では唯一無二の釣掛駆動用パイオニアIII台車を履き、 2600形譲りの 非冷房大型車体で、夏場は窓を全開にして加速度重視の歯車比を生かし、他社の 吊り掛け車とちょっと異なるトーンでモーター音も高らかに 走っていた頃を思い 出します。

  1969年からは同じ釣り掛け式だった1800形を電磁直通ブレーキ化の上で併結し大型5連、ラッシュ時は更に4000形を併結し3+3+2の8連を組ん で急行に運用され ましたが、台車構造の為か73年に相次いで脱線が発生してしまい併結は中止。
その後変則5連化を経て1900・2100形から主電動機流 用の上中間車ユ ニットを追加で新造し一部編成が5連化され、5連、6連(3+3)、10連 (5+5)で使用されるようになりました。
また、 釣り掛け駆動である事から他の20m級新性能車との性能差異(4000形は最高速度90q、その他は110q)があったこと、小田急では珍しい奇数単位の 編成であったこと から新性能車との併結は基本行われませんでしたが、発電制動こそ持たないもの の前述の通り電磁直通ブレーキ(HSC)化を始め設計時から 力行回路の共通化 は盛り込まれており、1988年9月22日には車両故障による代走で、1回だ け8000形4連との併結営業運転が実現しています。

 1985年から主電動機の老朽化対策、冷房サービスの向 上、更には性能差に よる運用制限の撤廃を目的に、同時期に廃車が始まった2400形HE車の主電 動機を譲り受け新性能化、同時に台車も交換(但し、基礎ブ レーキは後述する理 由の関係で空制のみ、当時の小田急では一般的だった両抱き式等ではなくディス クブレーキ方式。しかも台車外側にディスクが設置されるTS タイプとしても相 当に特異な形態)の上、冷房も搭載された、5000形並みの性能を持つ新性能 車へ大改装を実施、他車輛とほぼ共通運用を組むようになりま したが、制御機器 だけは釣り掛け時代のものを一部改良の上流用した事から最後まで発電制動は積 まれず、その関係で小田原〜箱根湯本間には入線できませんで した。
3000形の増備によりさよなら運転もなく、2005年に ひっそりと全車廃車 となっています。




 模型はマイクロエース製初期の製品と後年改良品、およびト ミーテック鉄道コ レクションにて発売。
マイクロエース製の初期製品は、実車が製造された当初から部 品流用で生まれた 因果か、吊掛仕様は台車が丸ごと新性能化後の流用、 しかも通風戸袋窓も省略。
冷房改造後仕様に至っては流石に屋根上は冷房機器と配線は しっかりしていたも のの、扇風機カバーが表現されていなかったり、デハの台車は専用設計なのにク ハの台車がアルストムのままだったりというあまりにもお粗末 に過ぎる製品でし た。

 とりあえず気になる所は全て弄る事に決め、間延びスカート は2600形共々 3Dプリンタ製品へ置き換え、初期製品最大の問題の台車については軸距が大分 短いのですがやむなくGMのTS706集電仕様品へ交換。
これでも素のアルストムモドキよりはよっぽどそれっぽくなり ました。他にはふ にゃふにゃなパンタをトミックスのPS4216に交換、更には初期の凸型動 力をFW搭載型へ交換を予定しています。
改良型は前面や台車がよりそれらしくされたもの…ですが、ク ハの台車はやはり 流用品。改良品と謡うからには台車も正規のモノを作成してほしかったなと思い ます。
また、後日購入した吊り掛け車仕様については、百貨店記念塗 装から一般色へ戻 すとともに、通風戸袋窓パーツ交換、スカート新設、一部台車交換の上、更に 2600形の6連復元に併せて余剰になる中間2輌を4000 形へ編入、台車を TS系へ交換し晩年の5連にしてみようかと。

 一方のトミーテック製品は敢えてマイクロエースに真っ向勝 負する形となった もの。4両編成側が初製品化された事に加え、Tc台車もちゃんとTS系で(但 し流用品)、より実車に近い雰囲気に。
マイクロエースより鉄コレのほうが加工しやすい事、何より廉 価だったため4連 を4編成導入し、うち2編成を組み替え吊り掛け晩年の3+3の6連に、残る4 連はそのまま6連にぶら下げる付属編成に、余剰になる中間車 2両はもう一本の 4連に組み込み、単独6連へ再編することとしました。
…ふと見ると、トミーテック製、マイクロエース製を含めて小 田急通勤車中の最 大勢力に(苦笑
 

 

 
5000 形/5200形

所属数:10輌

発売メーカ:マ イクロエース (A2180・2181)


編 成:
← 新宿
ク ハ5060-デハ5010-デハ5110-クハ5160+クハ 5251-デハ5201-デハ5301-デハ 5401-デハ 5501-クハ5551

Now  Printing

作 業内容:
・小田原方クハ5050先頭側TNカプラ搭載
・新宿方クハ5250先頭側TNカプラ搭載
・パンタグラフ交換 (→Tomix製PT4212-AM)
・5000形台車枠交換(TRAINS小田急5000/5200 用パーツ)
・5000形スカート交換(TRAINS小田急 5000/5200用パーツ)
・5000形・5200形動力交換(TRAINS小田急 5000/5200用パー ツ)
・アンテナ交換(クハ5251・トミーテック製小田急2200用 (紛失の為))


■今後予定
・5200形台車枠交換(TRAINS小田急5000/5200 用パーツ)
・5200形スカート交換(TRAINS小田急 5000/5200用パーツ)
・室内塗装(更新前寒色化)


 実車は1969年から急行の20m級8連化の要として4連 固定(5000 形)が、途中9000形増備の為に中断があったものの、1972年より仕様変 更の上6連固定(5200形)が登場。
ケープアイボリーにロイヤルブルーの帯を初採用した車両であ り、また小田急初 の新製冷房車でもあり所謂"小田急顔"電車の中心を担った通勤車です。
前照灯のシールドビーム化、6連の5200形も4連化する等 の小改造を受けつ つも最晩年まで急行列車を中心に最前線で活躍。2012年3月、惜しまれつつ 引退しました。


 模型は電子警報を試験装備していた5060×4と、 5200トップナンバー の5251×6で、シングルアーム化後の仕様だった為好みで菱型パンタに交換 しています。
2600形発売後、待ちに待った5000形という事で購入し ましたが、見事に 台車も車体も2600の流用品。スカートも実車より長く、馬面っぽくなってし まっていました。5200も側面こそ新規作成だったものの、 前面・スカート・ 台車はやはり流用品。実車はブレーキが両抱き式なので、片抱き式の2600用 台車とは同じアルストム型でも大分違う為、かなりの違和感が ありました。

 後に小田急TRAINSのご好意でマイクロエースのパーツ 分売が実現。台車 を9000用、スカートも5000用の新規専用品へ交換を行ない、大分実車の 重苦しい(笑)イメージに近づきました。 動力は2600と同様の凸形動力で、割と静かでスムーズですが、性能を維持するには定期的な分解メンテが必須です(汗)。
こちらも動力がFW仕様で単品発売された為、丸ごと交換する ことになりまし た。
 

 
8000 形

所属数:14輌

発売メーカ:マ イクロエース (A3786・3787)
トミーテック(小田急8000形登場時4両セット)


編 成:
← 新宿

ク ハ 8053-デハ8003-デハ8103-クハ8153+クハ 8260-デハ8210-デハ8310-デハ 8410-デハ 8510-クハ8560(Ma製)
クハ8051-デハ8001-デハ8101-ク ハ8151+クハ 8054-デハ8004-デハ8104-クハ8154(Tt製)


Now  Printing
作 業内容:
・小田原方クハ8150・新宿方クハ8250先頭側TNカプラ搭載
・パンタグラフ交換 (→Tomix製PT4212-AM)
・連結間隔短縮化(Tt製のみ)

■今後予定
・走行化(Tt製)
・小田原方クハ8150先頭部TNカプラ化
・先頭部TNカプラ化(Tt製)
・床下機器交換(Tt製デハ車のみ)
・戸袋窓着色化(Tt製・IROMIZU使用)


 実車は輸送力増強及びABFM系中型車の置換の為、 1982年より製造。
前面は大型曲面ガラスを採用したスケルトン構造とし、窓周り は黒色処理として 遠目から見ると1枚窓のように見せるデザインとなっています。車体構成も特徴 的で一見するとただの鋼製車ですが、屋根と床板、車体骨組み は長寿命化を狙い ステンレス鋼が採用された、いわば現代版"偽スチール車"。また、制御機器は 電子技術の進歩により高速域からの回生ブレーキ常用も可能と なった為、 9000形と同様にチョッパ制御を採用。
以後の1000形・2000形はこの8000形及び9000 形のデザインを踏 襲しているようです。
2002年からは大規模更新工事が開始され、車体更新に留ま らず制御機の VVVF化や一部車輛の電装解除等大規模に施行されており、今後も主力の一端 として最後の鋼製車として活躍を続けると思われます。


  模型は小田急監修(?)の元、マイクロエースから小田急標準色及びイベントカー(ポケット号)色が製品化。私は標準色の10輌を入線させましたが、シング ルアーム化後の仕 様だった為好みで菱型パンタに交換。 前面運転台側窓下に黒い保護板(?)が張られた姿なので、時代的には比較的後年の仕様という事になります。
とてもかっちりとした出来で、問題は初期製品との差異が目立 つ事でしょう(笑
ポケット号仕様も機会があれば入線させてあげたい所です。

 一方のトミーテックからも初期型と銘打たれた仕様が発売。 こちらは4連のみ 購入し、増結用の相方としています。
車体の印象把握こそ良いものの、床下機器があまりにも適 当お粗 末(特にデハ)な為、中間車のみですがGM製小田急8000形完成品の床下 機器へ交換を行っています。
 

 
9000 形

所属数:14輌

発売メーカ:マ イクロエース (A6195・6196)


編 成:
← 新宿

デ ハ 9005-デハ9105-デハ9205-デハ9305+デハ 9407-デハ9507-サハ9557-サハ 9657-デハ 9607-デハ9707
デハ9006-デハ9106-デハ9206- デハ9306


Now  Printing
作 業内容:
・デハ9305・9006・9306・9407先頭側TN化
・パンタグラフ交換 (→Tomix製PT4212-AM)

■今後予定
・デハ9305,デハ9006先頭車化復元改造?


 実車は営団地下鉄千代田線乗り入れ用途として、小田急線内 の高速性能と千代 田線内の高加減速性能を併せ持つ通勤車として1972年登場。翌年、小田急と しては唯一の第13回ローレル賞を受賞。
特有の額縁形前面は乗入先の当時の営団最新鋭車、営団 6000形のデザインに 劣らないようにとの配慮で採用され、後に他社車輛のデザインにも大きな影響を 与える事になりました。また、大きな前面窓と白っぽい車体色 から"ガイコツ" の愛称があります。
 性能面では小田急初の界磁チョッパ制御を採用。制動装置も 速度によって発電 (75q以上)と回生(75q以下)を使い分ける機構を持ち、乗入準急や線内 急行だけでなく、電気機関車全廃後は新車や車輛メーカ入出庫 のエスコート役と しても長年活躍しました。
しかしながら特殊な制御装置であった事、一段下降窓特有の車 体腐食等による老 朽化が進み、3000形の大量増備もあり、2006年に先輩格の5000形よ りも早く全廃。現在は喜多見検車区にてトップナンバーのデハ 9001が静態保 存されています。


 模型は小田急監修によるマイクロエース完成品として登場。 かっちりした出来 で、往年の雰囲気が伝わる製品。8輌固定編成はシングルアーム化後の仕様だっ た為、好みで菱型パンタに交換しています。
惜しむらくは何故初回に乗入仕様を製品化しなかったのか と…orz
仕方なく6コテと8コテを1セットずつ購入。その後乗入仕様 版が製品化されま したが、値上がりが酷いこともあり購入するのも癪なので、手元の8コテ仕様を 組み替え、点灯側は乗入仕様へ改装。
中間閉じ込め運転台側は、アンテナ・前尾照灯、ライトユニッ トを復元の上で先 頭車として復元加工中です。
 

 
1000 形

所属数:20輌

発売メーカ:グ リーンマックス
(50504・30510:Odakyuロゴ有)
(30568・30569:Odakyuロゴ無)


編 成:
← 新宿
ク ハ1051-デハ1001-デハ1101-クハ1151+クハ 1256-デハ1206-デハ1306-サハ 1356-デハ 1406-クハ1456(Odakyuロゴ有)
クハ1065-デハ1015-デハ1115-クハ 1165+クハ 1255-デハ1205-デハ1305-サハ1355-デハ 1405-クハ1455(Odakyuロゴ無)

Now  Printing

■作業内容:
・小田 原方クハ 1151、新宿方クハ1256運転台側連結器交換(TN化)
・小田原方クハ1165、新宿方クハ1255運転台側連結器交換 (TN化)

■今後予定
・Odakyu新ロゴ除去?(1051*4・1256*6編成)
・パンタグラフ交換?(→PT42/1051*4・1256*6 編成)
・パーツ取り付け
・戸袋窓着色(IROMIZU使用)

 
 実車は1988年(昭和63年)10000形HiSEと共 に登場した、小田 急初のステンレス鋼体・GTOサイリスタVVVF制御を採用した車両。
通勤車としては珍しくかなり外見に気を使った車輛で、小田急 が当時の東急車両 に「世界で最も外観の美しい電車にしたい」という注文を付けたというのは知る 人ぞ知る話。
ステンレス車の割に、鋼製車と連結していても落ち着いて見え るのはそのせいか もしれません。

1次車の4連は地上専用とされましたが、まもなく9000形 の後継として 1990年から千代田線乗入運用にも抜擢。しかし後継の4000形(二代目) の導入により、2015年現在では全車が地上運用専用となっ ています。
登場から既に30年近く経過(!)しており、制御機器と内装 を大幅にリニュー アルする工事が進行中で、特に制御機器は三菱電機が開発した高速鉄道(直流 1500V)向け大容量フルSiC素子VVVFインバータを 世界初採用。今後 ワイドドア車を除いて徐々にリニューアル工事が進行する予定です。



 模型は長らくグリーンマックスが板キットとして発売してい ましたが、遂に今 回新動力を引っ提げて完全リニューアルを果たした完成品として発売が決定。出 来はとても繊細で、GMの本気が垣間見える出来です。
ただし最初発売された仕様が乗入運用離脱後の現在の姿 (PT71パンタ搭載、 Odakyuロゴ貼り付け後、制御機器更新前)の為、登場当時や往年の千代田 直通を再現したい私にはちょっと残念でした。後に千代田乗入 仕様も後追いで製 品化されまして、こちらも導入しましたが……最初から原型仕様だして欲しかっ たのが本音だったり。
 

 
 
 
小田急電鉄【特急型】
3000 形[更新後]
"SE車"
所 属数:5輌
発 売メーカ:マイクロエース(A2152)

編 成:
← 新宿
デ ハ3001-デハ3002-サハ3003-デハ 3004-デハ 3005

Now  Printing
作 業内容:
・特に無し

■今後予定:
・パンタグラフ交換? (→Tomix製PT4212-AM)


 
実車は小田急 電鉄の、ひいては新幹線を含めた日本の軽量高速特急電車の始祖とも言うべき車 輛で、1957年に登場。翌年栄えある第1回ブルーリボン賞 を受賞していま す。
大手私鉄(小田急)と国鉄(鉄道技研)のタッグという前例の 無い形で設計され たこの車輛は、航空機の技術を積極的に取り入れた超軽量の張殻構造車体、ディ スクブレーキ、前照灯のシールドビーム化、補助警報(ミュー ジックホーン)搭 載等々、現代での基本となった仕様の数々を初めて搭載した意欲的な車輛で、名 前の由来である"SuperExpress"に相応しい性能 を誇っていました

 また、前代未聞の「私鉄特急車による国鉄線上高速度試験」 の為白昼堂々東海 道本線を爆走した事でも知られ、見事試験編成3002×8が当時の狭軌世界最 高速度145q/hをマークしています。
 登場当初は非冷房の8連接固定でしたが、御殿場線電化の折 に5連接固定化、 冷房改造等、更新を重ねながら想定運用年数10年を大きく超え、実に35年に 渡って第一線で活躍。1992年に惜しまれつつ勇退し、長ら く3021編成が 登場当時の姿に一部復元の上で海老名検車区にて静態保存されていましたが、ロ マンスカーミュージアム開園に伴い、中間2両が解体の上で3 連に短縮され室内 静態保存されることとなりました。
博物館収容するとはいえ、貴重な車輛解体するとかアホ なのか。


 模型はNSE車に続いてマイクロエースから製品化されたも の。世代的に私は 初期デザインは見たことがない為、更新後の仕様を購入。
台車は少々彫りが浅いものの、実車の腰の低いプロポーション も再現され、かな り良い出来です。
また、Tomix製ロマンスカーに無い特徴としてNSE車と 同様、最初から全 軸集電となっており走行安定化にも一役買っています。
但しパンタグラフだけは相変わらずのフニャフニャで、扱いに かなり気を使いま すね。
"あさぎり"用として1編成の購入のみに留めていますが、重 連の"はこね" や"さがみ"もいいかなぁと思い始めてたり(汗
 

 

3100形[冷房増強仕様/更新後]
"NSE車"

所 属数:22輌
発 売メーカ:マイクロエース(A8157)/KATO(10-1284)

編 成:
← 新宿

デ ハ 3221-デハ3222-デハ3223-デハ3224- デハ3225-デハ3226-デハ 3227-デハ 3228-デハ3229-デハ3230-デハ3231 (Ma製)

デ ハ3191-デハ3190-デハ3189-デ ハ3188-デ ハ3187-デハ3186-デハ3185-デハ3184-デ ハ3183-デハ3182-デハ3181 (Ka製)

Now  Printing

■作業内容:
・特に無し

■今後予定:
・Ma製:パンタグラフ交換? (→Tomix製PT4212-AM)


 実車は箱根特急の輸送力増強を目的に1963年に登 場、翌年第7回ブ ルーリボン賞を受賞。
SE車の後を継ぐこの特急車両は"New SuperExpress"、NSEと名付けられました。
小田急特急車としては初の展望席を設けた車輛で、この後 HiSE、そして VSEに至るまで展望席と連接台車、そして独特のミュージックホーンが小 田急ロマンスカーの特徴として受け継がれる事になりま す。
また当時の小田急は「新宿〜小田原間60分」運転を目標 にしており、それ に沿って設計された結果上り25パーミル勾配での均衡速度は 115km/h、平坦線均衡速度は実に170km/h と、当時の車両とし てはかなり高速な部類に入ります。
1996年、後継の30000形"EXE"に後を譲り勇 退。
引退後暫くは3211編成が6連に短縮の上喜多見検車区 に保管されていま したがロマンスカーミュージアム開園に伴い、中間3両を解体し3連に短縮 の上室内静態保存されることになりました。
また、開成駅前にもデハ3181が静態保存されていま す。
博物館収容するとはいえ、貴重な車輛解体するとか アホなのか。


 模型はトミックス製VSE製品化と時を同じくして製品 化された、マイク ロエース初の連接車。試作品はちょっと残念な出来でしたが、製品になった 時はかなり良くなっており、慌てて購入に踏み切った製品 でした。
ひとつ残念なのが製品版が"LastRunning"ロ ゴ付仕様であると いう事。ロゴなしは小田急専売で、ちょっと悔しい思いをしたのでした。
  要所要所残念な点も見受けられるものの、全体の出来はや はり良いです。またSE車と同様に全軸集電となっている 為、安定した走りに一役買っているようです。

もう一方のKATO製は、当初レジェンドコレクションと して登場時原型仕 様で発売されたNSE車のバリエーション品で、屋根上にクーラーを増設し た"冷房増設仕様"。流石の最新製品だけに通過表示灯も ばっちり点灯の 上、種別表示板のライトの色味がヘッドライトと変えてあり、実車の雰囲気 十分。
このいで立ちだった時期は比較的短かったのですが、個人 的には一番見慣れ たNSEの形状だったので問答無用で購入に踏み切りました。
気になる連接部の連結機構は海外向け製品の連接構造を応 用した伸縮機能付 きの新タイプで、某HiSE程無理のない仕様。そろそろこの仕様で HiSEをリニュしてくれませんかねKATOさん…。

マイクロエース製、KATO製ともに是非室内灯を装備し て、夜の留置線で 室内灯を煌々と灯し出区を待つ"さがみ"や、往年の"はこね"を再現した いものです。

 

 

キハ 5000形[更新後]

所 属数:2輌
発 売メーカ:小田急TRAINS(トミーテック)

編 成:
← 新宿
キ ハ5001+キハ5002

Now  Printing

■作業内容:
・各種N化済

■今後予定:
・特になし


 実車は初代御殿場線乗り入れの連絡準急"朝霧"にて運 用された、日本初 の「優等列車用気動車」であり、「小田急電鉄史上最初で最後の気動車」で もあります。
小田急の建築限界に合わせる為、2エンジンでありながら 20.5m級に収 めた細身の車体という、国鉄でも存在しなかったかなり先進的な構造を持つ 車両でしたが、設計には結構無理があったようで、当時の 運用においては涙 ぐましい努力があったとか……。
後年登場したキハ5100との共通化の為の座席配置変更 や塗色変更を経て 活躍するも、御殿場線電化の折SE車にバトンタッチして関東鉄道常総線へ キハ5100形と共に移籍。3扉化の上通勤車として活躍 しました。


 マイナーな車輛だけに注目される事も中々なかったので すが、小田急トレ インズの監修で遂に鉄コレとして製品化が決定。
事前に製品としてキハ5000の譲渡後の姿である関東鉄 道キハ751が あったとはいえ、車体はほぼ新規金型。こんな車両まで手に入れられると は、本当にいい時代になったものです。
 

 
7000形
"LSE車"
所 属数:11輌
発 売メーカ:トミックス(92744)

編 成:
← 新宿
デ ハ7002-デハ7102-サハ7052-デハ 7202-デハ 7302-デハ7402-デハ7502-デハ7602-サハ 7152-デハ7702-デハ7802

Now  Printing
■作業内容:
・特に無し

■今後予定
・未定


 実車は1980年に登場、翌年第24回ブルーリボン賞 を受賞。
NSEよりも更に前頭部を鋭角化、灯火類・ダンパ・方向 幕を車体に埋め込 んでより滑らかな流線型になったのが特徴。斬新さ、より良い居住性を追求 されたこの特急車は"Luxury Super Express"、LSEと名付けられました。
  82年には第2編成が国鉄に貸出され、東海道線で183系との性能比較試験を行った事も知る人ぞ知るお話だったり。
途中リニューアル工事を受け塗色もHiSE準拠のものに 変更されました が、2013年時点で4編成中既に2編成が引退。残る7003×11・ 7004×11が旧ロマンスカー色に塗り直されて"小田 急最後の抵抗制御 車"として最期の活躍を続けていましたが、2016年末には後継の仮称 70000形製造計画が発表、そして2018年7月10 日、遂に定期運用 を終了。SE車よりも長寿だった38年の活躍に休止符が打たれることとな りました。
引退後第3編成先頭車のみが保管されていましたが、ロマ ンスカーミュージ アム開園に伴い、2022年現在新宿方先頭車のみが室内静態保存となって います。
博物館出来たのは良いけど中間車も保管して欲し かった……

 



 模型はVSE製品化と共に久々のリニューアル販売と なったLSEの原 色・原型仕様。私の世代ではやはり"小田急ロマンスカー"といえばこの色 です。
しかし、幾ら各部リニューアルされているとはいえど、 21世紀に入って各 社から発売されたロマンスカー製品の中ではダントツに発売初年度が古い (なんと基本設計80年代!w)為、 前照灯は相変わらずのライトケース一体型、しかも黄色LEDというのは戴けません。動力その物も初回製品当時とさして変わっておらず、かなり残念です。
後年動力改良品が登場しライト類は白色LED化、そして 動力はVSEと同 じくフライホイール搭載型になったものの、ライトケーシングは結局そのま ま。
引退となってしまった今、そろそろHiSEと一緒にHG 仕様でリニューア ルしてくれないものでしょうか……。

 
10000 形
"HiSE車"

所属 数:33輌
(3編成)

発売メー カ:トミックス (92604)・KATO(10-161)


編 成:
← 新宿
デ ハ10001-デハ10002-サハ10003- デハ 10004-デハ10005-デハ10006-デハ 10007-デハ10008-サハ10009- デハ10010- デハ10011

Now  Printing
■作業内容:
・パンタ破損部交換(KATO製品)

■今後予定
・動力不調の為調整予定(KATO製品)


 実車は小田急創業60周年の節目の年、1987年の製 造で、翌年ブルー リボン賞を受賞。
当時の世相を反映し、より豪華で快適な車輛を目指し て"High Super Express"、HiSEと名付けられました(「High」には、High decker、High grade、High level等の意味を含む)。
登場からVSE登場まで長年箱根特急のイメージリーダー を担ってきました が、展望の為のハイデッキ構造がバリアフリー法施行で仇となり、残念なが ら更新改造を受ける事も叶わずに2012年3月に運用を 終了。
4編成中、半数の2編成が編成短縮改造(11連→4連) を受けた上で長野 電鉄へ渡り1000系として再起。今も小田急時代とほぼ同じ塗り分けを維 持したまま、同鉄道のA特急"ゆけむり"として運用され ています。
また小田急側でも10001編成が短縮の上保管されてい ましたが、ロマン スカーミュージアム開園に伴い、2022年現在新宿方先頭車のみが室内静 態保存されています。
博物館が出来たのは良いけど中間車も保管してほし かった……




 模型は実車登場の翌年にトミックス・KATOから2社 競作の形で登場し た製品。
購入しようと思い立った当時、Tomix製品はリニュー アル(百合エンブ レム貼付後に仕様変更)された頃で実車の登場時を知っている者としては 「喫茶室のストライプは外せん!」と思っていた事もあ り、KATO製品 を……と探していたのですがKATO製はそもそも製品そのものが出回って おらず。
Tomix製品を探してみるもやはり旧製品は品薄で、都 内のとある中古屋 でようやくTomix製の初期製品を探し求めた記憶があります。
黄色LEDを光源にライトケース全体が光ってしまう前照 灯・スプリング ウォームの少々騒々しい動力等、今から見ると物足りない部位が多々ありま すが、分解しやすく維持の簡単な動力や連結部位の強度等 では有利な面も。

 一方のKATO製は初のCAD・CAM製図、アンテナ や避雷器は別パー ツ(Tomix製品は一体モールド)、前尾照灯は実車通りケーシング、全 車室内灯点灯、側面方向幕点灯、更には通過表示灯も点灯 するという気合の 入りっぷりであったにもかかわらず、殆ど再生産されずに生産終了になって しまった幻のモデル。一説には連結部が繊細で破損が多発 した為だとか。
中古屋で極少数出回っている個体も、やはり連結部分は破 損(もしくはヒ ビ)している物が多い様に見受けられました。
製品発売時はTomixより高い値段でおいそれと手が出 せず、手元にある 2編成は運良く中古屋で安値で売られていた完動品を入手したもの。
一方は付属品全付の完全完動品(新古品?)、もう一方は 動力から若干の異 音と一部室内灯が球切れしている状態。
動力不調な方もせっかく何かの縁でうちへ嫁いできたの で、手放さずに総本 山にて動力調整を行おうと考えています。
 

 
20000 形
"RSE車"

所属数:7 輌

発売メー カ:モデモ(NP- 501)


編 成:
← 新宿
デ ハ 20002-サハ20052-デハ20102-サハ20152-サハ20052-デハ20202-デハ20302

Now  Printing
作 業内容:
・特になし

■今後予定
・床下機器塗装
・台車向き修正?
・中間連結器TN化


  長い間新宿〜御殿場間を結んでいた"連絡急行"あさぎりでしたが、SSE車の経年による老朽化と、利便性向上の為沼津への運用延長が決定し、その際導入さ れた特急車がこの 20000形"ResortSuperExpress"RSE車でした。
実車は1991年の登場で、翌年ブルーリボン賞を受賞。 新生あさぎりとし て、時には線内のはこね運用、更にはホームウェイ運用と、さまざまな活躍 を見せましたがHiSEと同等のハイデッカー構造が災い し、更新も叶わず 製造後僅か20年にして2012年3月惜しまれつつも全車が引退。 60000形MSEに後を譲りました。
廃車後は昔から小田急譲渡車に縁のある富士急行が名乗り を挙げ、第2編成 7両が2013年11月に譲渡、富士急側で3両編成に改造され富士急 8000系"フジサン特急"として再起。入れ替わりに2 編成運用されてい た旧JR東日本・165系パノラマExpアルプスの内第二編成 (2002F)が退役することになりました。
後に同僚であった元JR東海371系も富士急へ譲渡さ れ、こちらも3両編 成へ短縮化の上で富士急8100系"富士山ビューExpress"として 再起、代わりに富士急
2000 系第一編成が旧パノラマExpアルプス塗装を復刻の上で引退を迎えまし た。
小田急側でもデハ20001・サハ10151・デハ 20301が喜多見検 車区にて静態保存されていましたが、ロマンスカーミュージアム開園に伴 い、2022年現在新宿方先頭車とダブルデッカー中間車 が室内静態保存と なっています。


 初回製品は入手できず、リニューアルされた再販品を入 手。こちらは前照 灯のLED化と、ODAKYUロゴや百合マークが入った晩年の姿となりま す。
性能的には一昔前のトミックス製品に通じるような走りを 見せますが、ス ローもなかなかよく効きますね。
惜しむらくは、台車の向きが実車と反対(正規に戻すには TN化必須)なの と、床下機器がグレー(実車は黒)であるということ。いずれしっかり手を 入れたいと思います。

 

 
30000 形
"EXE","EXEα"

所属 数:20輌

発売メー カ:マイクロエース
(A6594・6595/EXE)
(A6596・6597/EXEα)


編 成:
← 新宿
ク ハ30051-デハ30001-デハ 30101-クハ 30151+クハ30251-デハ30201-サハ30351- デハ30401-デハ30501-クハ 30551(第1編成/更 新)
クハ30053-デハ30003-デハ 30103-クハ 30153+クハ30253-デハ30203-サハ30353-サ ハ30453-デハ30503-クハ 30553(第3編成/原型)

Now  Printing
作 業内容:
・中間運転台側連結器交換(TNカプラー)

■今後予定
・室内灯取付


 小田急2000形登場と時を同じくして3100 形"NSE"の置換、及 び特急増発用にと製造されたのが30000形"Excellent Express"、EXE(エクセ)でした。
観光面より輸送力・移動時の快適性を重要視して設計され ており、連接台 車・展望室のオミットを始めとして、特徴的なのは20m級車体で6+4の 分割運用が可能であり、多層建て特急による増発に威力を 発揮。20m級車 体は後にMSE、GSEにも基本的仕様が引き継がれる事になります。
 しかしながら、輸送力に割り切り展望席や連接台車のオ ミットされたロマ ンスカーはロマンスカーらしくない、と思われたのか残念ながら"SE 車"3000形以来、歴代特急車が受賞し続けてきたブ ルーリボン賞を唯一 受賞し損ねています。 とはいえ居住性は正直LSEやHiSEより(下手すればMSEより?)良く、揶揄される塗色も風景によって千差万別に変わる独特なもの。20m級10輌編 成の輸送力を生か し、VSE等の補佐や通勤特急ホームウェイ等での活躍を見れば、小田急の 決断と導入は決して間違いではなかったかと思います。
登場から20年が経過した2016年現在、1000形と 同様に大幅リ ニューアル工事が進行中で、施行後は渋いゴールドからシルバーの濃淡に他 車と同じくバーミリオンの帯を締めた外見に、名称も新た に「EXEα」へ と変更される予定です。


 模型は原型・側面窓枠が金色だった頃の仕様と、後年更 新改造を受けた仕 様。Nゲージ製品化で長らくすったもんだがあったようですが、 ようやくマイクロエースが決定版を製品化してくれまし た。9000形に引き続き、小田急の監修ががっちり入っ た結果、ほぼ文句なしの出来栄え。
細かい事言えば若干窓が歪んでたり(修正可能)、車体の ごく僅かな歪み (パール塗装のせいでよーく見ると差異目立つ)等があったものの、全体的 にはかなり良いですね。
なにより、長年の穴だったこの形式が製品化された意義は とても大きいか と。
実車のリニューアルが発表された後暫くして模型も製品 化、金型が初代から ほぼ全面更新され細かな差異が再現されています。
銀の粒子が若干荒い気もしますが、雰囲気は良く出ている モデルです。
 

 
50000 形
"VSE車"

所属 数:10輌

発売メー カ:トミックス (92754)


編 成:
← 新宿
デ ハ50001-デハ50101-デハ 50201-デハ 50301-デハ50401-デハ50501-デハ 50601-デハ50701-デハ50801- デハ50901

Now  Printing
作 業内容:
・特になし

■今後予定
・室内灯取付


 実車は2005年に登場。翌年第49回ブルーリボン賞 を受賞したほか、 優美なデザインに対して国内外の賞を受賞。
「箱根方面ロマンスカーの復権」を主目的として設計さ れ、HiSEに代わ る箱根方面のフラッグシップとして現在の小田急を代表する特急車となって います。
愛称は"Vault Super Express"の略で、その名の通りかまぼこ型の高い天井から来ています。
また、小田急初のアルミ車体導入、長年の研究成果の一つ である車体傾斜装 置の導入、ミュージックホーン復活等も特筆されましょう。
登場から長らくスーパーはこね及びはこねの限定運用で ホームウェイには原 則使用していませんでしたが、2010年1月のLSE・HiSEの緊急入 場時に代走し、ホームウェイとして多摩線に定期営業列車 として初入線した のも記憶に新しい所です。
その後2016年3月末からは江ノ島方面のホームウェイ へも投入され、他 特急車との共通運用が始まっています。

優美なデザインと豪華な装備でフラッグシップとして君臨 して来たVSEで すが、安全性を高める為のホームドアの設置の進捗や、2019
年末から始まった武 漢肺炎コ ロナウイルスの世界規模の感染流行の影響による減収、連接台車を始めとす る数々の特殊装備の整備コスト等々不利な条件が重なった 結果、残念ながら 2022年3月末で定期運用を終了、翌23年秋ごろに引退する旨が公式発 表。
小田急最後の連接型ロマンスカーは、更新も受けられず僅 か17年の運用で 休止符を打つこととなりそうです…。
全部中共のせいだ。




 模型は実車登場とほぼ同時に製品化された物。
同時期に発売されたマイクロエース製のNSEと同様、ト ミックスとしては 初の全軸集電タイプになっており、安定した走行をしてくれます。
また勾配区間の多いレイアウト向けに補重ウェイトも同封 されており、走行 状況に応じて変更が可能となっています。
出来は殆ど手を入れる必要を感じさせない程の完成度で、 実物をそのままス ケールダウンしたかのような雰囲気です。
これでSE車以後の特急車はフルコンプかと思いきや、 60000形MSE が登場した為またもやお預けに…w
 

 
60000 形
"MSE車"

所属 数:10輌

発売メー カ:マイクロエース (A7570・A7571)


編 成:
← 新宿
ク ハ60051-デハ60001-デハ 60101-クハ 60151+クハ60251-デハ60201-デハ60301- デハ60401-デハ60501-クハ 60551

Now  Printing
作 業内容:
・中間運転台側連結器交換(TNカプラー)

■今後予定
・室内灯取付


 実車は2008年に登場。日本初の「地下鉄への定期座 席指定特急乗入」 を目的として製造され、翌年第52回ブルーリボン賞を受賞。愛称 は"Multi Super Express"の略で、地下鉄乗入も含んだ汎用特急車としての命名でした。
先達のVSEのデザイン、及び鋼体基本構造を引き継いで はいますが、性能 的には新4000形と共通点が多く、更に千代田線乗入規定に合わせ車体長 は20m級、編成は30000形EXEと同様に分割対応 の10輌編成と し、流線型の先頭部には目立たぬ形で非常口が設けられ、地下鉄直通に備え ています。
 登場当初は千代田線直通の特急メトロはこね(さが み)・メトロホーム ウェイの他、線内特急、及び仕様を生かして千代田線・有楽町線を経由し新 木場まで入線する臨時特急ベイリゾートにも運用されまし たが、現在では ホームドアの関係で新木場乗入は中止され、代わりに20000形RSEあ さぎりの代替として御殿場線への入線を果たしています。
 
 
 模型はマイクロエース製品。
割と私鉄特急車の製品化が早い昨今のNゲージ界隈として は
実車登場後6年目の製 品化と、ちょっと 時間が掛かったものの、30000形EXEや9000形と同様、小田急の 監修が細かく入ったお蔭で出来はほぼ文句なし!
実車の雰囲気を的確に再現した良製品となりました。
   

 

70000形
"GSE車"

所属数:7 輌

発売メー カ:トミックス (98658)


編 成:
← 新宿
ク ハ70051-デハ70001-デハ 70101-サハ 70151-デハ70201-デハ70301-クハ70351

Now  Printing
作 業内容:
・購入済

■今後予定
・室内灯取付・床下機器カバー隙間修正?


 実車は2018年3月、7000形LSE車の代替とし て2編成が登場。
愛称のGSEは"Graceful Super Express"の略で、 優雅さを念頭に置いての命名。豪華さを念頭に置いて設計・命名された7000形LSEの実質的後継車となります。
車体は伝統のバーミリオンの帯を締めつつも屋根まで深 紅。側面はVSE以 上の大型連続窓が並び、床下機器カバーのみ銀色に塗られ、前頭部も大型ガ ラス一枚窓で、一見すると灯火類がどこにあるかわからな い日本離れしたも の。仕様的には展望席は持つものの、SEから長らく受け継がれてきた連接 台車はオミットされ、車体長が20m化。50000形 VSEのイメージを 残しつつも、60000形MSEに近い雰囲気を持つ車両です。
ただし編成長は20m級7連で、従来の連接型ロマンス カーと同じとされて います。
 
 

模型はトミックス製品。 私鉄特急車の製品化が早くなった昨今のNゲージ界隈としては
実車営業開始同年の登 場と、比較的早め の製品化と相成りました。 一見異形に見える独特の前頭部、屋根まで深紅の車体に銀色の床下機器カバーなど、実写の特徴をを再現しています。 しかしながら開発から発売までが早すぎたのか、昨今のト ミックス製品にし ては床下機器カバーと車体とのフッティングが良くなく、ちょっと気になる ところです

そしてこのGSEの製品化により、遂にSEから続いてき た小田急特急車の フルコンプが成し遂げられました。
初代SEからGSEまで、新旧特急車を一同に会する事が 出来たのは小田急 ファンとしては感無量と言ったところ。

 

 
 






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