Hobby[Model]-鉄分が多いモデル。

Photo-模型編・MicroAce ナハネフ10弄り倒し記-
-古い製品も大切に扱いましょう?-

 
※ご注意※

・手元のデジカメがぶっ壊れている関係でスマホで撮ってますが、撮影技術はビミョーなので【お察しください】。
・元々、下手の横好きなサイト主が技術力向上(?)を目的として
弄ってます。効率的な方法やもっとうまい手順があるでしょうし、恐らく完成度もビミョーかと思われますが、やっぱり【お察しください】。



◆序章、っていうかなんていうか。

KATOのような単品ケースに、見慣れぬ白地に茶色・青色のラインが入った化粧紙に、緑色の文字「MicroAce」と刻印された茶色・青色の、
子供からすると見慣れぬ、窓配置が左右非対称な客車がある時店頭に並びました。
ご存知の方も多いでしょう、しなのマイクロからMcroAceに呼び名が変わった頃の「旧MicroAce」最晩年製品の10系客車群です。

当時競合製品は(比較的大味な)グリーンマックスのキットしかなく製品化は喜ばれたようですが、台車の精度が原因か転がりがかなり重く
往年の超大編成とするには色々問題があったらしく、後年たたき売りされて居たようで…(私が見たのもその手のものかもしれません)。
しかし、初期のTomix製113系や西武5000系の様に作り込まれた床下機器はなかなか見ごたえがありました。

KATO製が発売され20年以上が経過した2021年、中古で程度の良さそうな車輛が手元に集まってきた所で、そういえば1輌だけ持ってた
な、と思い出し、せっかくだから現役復帰させてみようと一念奮起したのが、この製作記だったりします。





それでは、実車の超簡単な説明なぞ。

国鉄ナハネフ10は1956年、戦後初の3等(→B)寝台車としてナハ10試作車の設計思想を寝台車としてフィードバックさせ、当初ナハネ10として登場。
全幅2.9m、全長20mの大型車体を国鉄客車として初導入しています。
後に車掌室区画を設置する為寝台を1区画分減らしてナハネフ10へ改装。更に1962年から冷房化され自重が増加し、オハネフ12へと形式変更。
10系客車終焉の頃まで残った代表的な形式の一つです。
 
 

さて、 方向性としては以下。

1.KATO製の他車に併せて冷房化、オハネフ12とする (床下機器的にもオハネフ化後の仕様なので)。
2.荒れ放題の車体を何とかする。
3.台車の転がりを何とかする。
4.テールライト周りを何とかする。
5.その他、KATO製と並べて左程遜色が無いようにする。

…そんなところでいってみましょーか。
 


写真撮ってないのでいきなり加工後で失礼します(汗
元は非冷房の為、 半ガラ通風器の隣に扇風機(?)の突起が並ぶという、ある意味国鉄客車
らしくないスタイル。

一方僚車となるKATO製品は全車冷房化後の仕様で、流石にこの車両だけ非冷房のままに
しておくのはバランスが悪く、中古のGMのオハネフ12キットから屋上機器を強奪(苦笑)。
扇風機の突起・一体成型で甘々なディテールの半ガラを綺麗に取り去って、屋上機器を全て
別パーツ化し取り付けています。
(実は入手した子供時代、工事用客車として変なパーツを付けてたので、 それらを一掃する
 という意味もあったりなかったり…)



 
写真撮ってないのでいきなり加工(ry
車体は原型留めてましたが、何故かざらざらの梨地状態。
更には長期保管のせいか表面の塗料が浮いてきてしまい、保管中や遊んでいた時に出来た
であろう引掻き傷も多数。
流石にこのままでは見てくれはおろか触るにも手が汚れる為、塗装を一旦IPAで完全に落とし、
比較的晩年の姿とする為旧FARBEレーベルの青15号で塗装。しかし…
 



KATO製品と比べると色味がシブいというかなんというかw
色的にはこっちの方が実物に近いかなという気がしますが、模型として編成するとなるとちょっ
と浮いてしまうかも…(寧ろKATO製品の方がシアン強め)?
とはいえ最晩年は割と色が褪せてたり車体がボロボロだったのも結構居たようなので、これは
これで味になるかな、という気もしたりしなかったり。


あとは台車。
デフォの台車は軸の長さが長すぎるのか絶望的に転がりが悪く、子供の頃は早々に放置し
ていたようなorz
外見は悪くないのですけどね。















 
 
 



 



以下次号 以下次号

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