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デニ1000形1001更新後
デニ1300形更新後 |
所属数:1輌
所属数:3輌
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発売メーカ:鉄コレ
弘南鉄道3600系改/小田急TRAINS(トミーテック)
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編成: |
← 新宿
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デ
ニ1302+デニ1304+デニ1303+デニ1001
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■作業内容:
・パンタグラフ交換 (→Tomix製PT4212-AM)
・デニ1302動力化(鉄コレ動力16m級A)
・デニ1304Nゲージ化(動力同封金属車輪及びウェイト追加)
・連結間隔の縮小化
・両運化(デニ1001)
■今後予定:
・L字アンテナ搭載(デニ1300非パンタ側/デニ1001)
・側扉増設(デニ1001)
・前面交換(デニ1001) |
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デニ1300形は1927年、小田原線複線化完成と共に小田原急行モハ151形 として4輌が誕生。
大東急時代にデハ1250形に改番され、分離独立後にデハ1300形に再改番。
車体更新を経て荷電へと用途変更された後も小田急戦前型(HB車)最後の生き残りとして、1984年まで荷物輸送に従事。
元帝都電鉄の貴重な生き残りだったデニ1001と組んで走る姿もよく見られました。
車体は切妻16m級ながら、車体更新によりアルミサッシと1.5mの大きな両開き2扉という近代的な車体を持つ、小粒なれ
ど渋くて格好良い電車。
1975年に小田急2100形の制御機器及び台車を譲り受け、性能的にABF車となっていたようです。
廃車後は1301が東急車輌の牽引車になった他、1303が1991年まで保管されていましたが結局解体となっています。
デニ1000形は1927年に小田原急行モニ1として4輌が製造。当初は13mの小型車でした。
この内モニ3・4が残り、大東急時代にデユニ1000形 1001・1002へ改番され、更に1900形への編入で余剰となった1500形初代(元帝都電鉄モハ100)の車体を流用し大型化されました。
1971年には郵便輸送廃止に伴いデニ1000形に改番、1001のみ2100形より台車を譲り受けています。76年には1002が廃車となりましたが、1001は1984年の小田急の荷物輸送廃止まで活躍。
帝都電鉄由来のスマートな車体を残した貴重な生き残りでしたが、残念ながら用途消滅後廃車解体となっています。
Nゲージ界では通勤型、特急型の華やかさの陰に隠れていたせいか中々製品化されませんでしたが、遂に今回鉄コレモデルとしてあの小田急トレインズ企画の元で、往年の名脇役デニ1300形が塗装済み製品化。
しかも特有の軸距離を再現する為専用動力まで同時発売する凝りっぷり!こんな車両まで完成品で手に入るとは、本当にいい時代になったものです。
デニ1300は当初2輌を導入しましたが、後日運良くもう1セットを入手。
4両中1両を更新後のデハ1300形に復元して、余る台車は東急の「緑色の電車」製造計画で余った3600のジャンク端財を活用してデニ1001モドキとして化かしてみる事にしました。
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1300形・1400形更新後
"HB
車" |
所属数:5輌
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発売メーカ:トミーテック(鉄コレ第8弾・越後交通1400改造)/小田急TRAINS
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編成: |
← 新宿
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デハ1401-クハ1451+デハ1415-クハ1465+デハ1301
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■作業内容:
・パンタグラフ交換 (→Tomix製PT4212-AM)
・デハ車体をクハ用に交換
・編成中間のデハ動力化(鉄コレ動力16m級)
・他4輌のNゲージ化(金属車輪及びウェイト追加)
・連結間隔の縮小化
・尾灯運転台側移設
・方向幕表示機取付(GM小田急2220形用)
・塗装剥離
■今後予定
・ジャンパ線追加
・貫通路渡り板追加
・手すり追加
・再塗装(越後交通色/小田急荷電色→ブドウ色)
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アイコンは1300で代用(汗
1400形は小田急創業以来走り続けてきた小田原急行モハ201型を車体更新の上生まれた形式で、総数は35輌。
更新後も32輌と当時としては大所帯の車両群でした。
1300形や1200形等と共に制御方式から「HB車」の名前で呼ばれていたグループで、最晩年は茶色の片開き2扉、16m級の車体にPT42パンタを振りかざし、3〜5輌で小田原線・江ノ島線ローカル末端区間での鈍行運用をこなしていたようです。
4000形初代に主電動機を供出の為1968年に全車が除籍。廃車後は越後交通と新潟交通に一部が譲渡の上、長年活躍しました。
Nゲージではいささか渋すぎる題材だったようで、現行通勤型、特急型の華やかさの陰に隠れなかなか製品化されませんでしたが、遂に鉄コレレーベルで"ほぼ原形"の越後交通1400形が発売。しかし古い車輌故か不人気だったようで安く買えたのは嬉しいやら悲しいやら……。
越後交通へ譲渡された後デハが両運化されている為、友人とトレードして片運のクハ車体を入手の上、連結面の尾灯台座の前面への移設、行燈式方向幕の追加を実施して晩年仕様っぽく改造中。
1400形のみで4輌編成の予定でしたが、デニ1300セットを追加で1セット入手できた為、内1両を旅客運用をしていた頃のデハ1300形として復元し、5両編成を組ませてみようかと。
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1600形更新後
"ABF車" |
所属数:6輌
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発売メーカ:トミーテック(鉄コレ第6弾)
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編成: |
← 新宿
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デハ1607-クハ1657+クハ1658-デハ1608+クハ1660-デハ1610
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■作業内容:
・パンタグラフ交換(→Tomix製PT4212-AM)
・編成中間のデハ動力化(鉄コレ動力16m級)
・他7輌のNゲージ化(金属車輪及びウェイト追加)
・連結間隔の短縮化
■今後予定
・未定 |
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実車は小田急電鉄戦前の名車と名高い車両。関東型窓配置の先駆でもあり、16m級の小柄な車体に大きな窓が並ぶ側面は今でも軽快感も感じさせます。
今のロマンスカーの始祖である戦後直ぐに走り始めた"復興整備列車"に抜擢されたのもこの車両でした。また、この1600形から特急型1910形、軽量車体の試作車的存在だった2100形までの車種は一括して制御器型番から"ABF車"と総称され、同系列、もしくは異系列同士で相互に編成を組んでいたようです。
何度かの更新を経て晩年はアルミサッシ側窓・プレスドアの片開き3扉16m級で最大8連で急行に各停にと運用されていたようです。
Nゲージとしては渋い題材だったか、ようやく鉄コレで完成品が製品化。
当初ハコ買いで2+2の4連と考えていたのですが、格安で動力付き4連を中古屋にてゲット。
急行運転の最大6連が組めるようになりました。
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1800形更新後 |
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発売メーカ:トミーテック(鉄コレ第9弾+小田急1800形最終編成セット)
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編成: |
← 新宿
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デハ1801-クハ1851+デハ1811-クハ1861+デハ1809-クハ1859+デハ1806-クハ1856
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■作業内容:
・パンタグラフ交換 (→Tomix製PT4212-AM)
・連結間隔の短縮化
・動力化
■今後予定
・金属車輪交換・ウェイト追加
・第9弾と製品版の車体再塗装?
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実車は1946年鉄道省より旧63系電車の製造割り当てを受けた車輛、及び1950年の戦災復旧車輛で、小田急(当時は東急小田原線)初の20m級通勤電車。
大東急分離時に6輌が相鉄へ(→相鉄3010系)移籍するも、運用制限が厳しく持て余していた名古屋鉄道(名鉄3700系[初代])から同数を譲り受け、更に1950年には国鉄の戦災復旧車2輌(モハ60050・モハ40004)を購入、仕様の差異から1820形として復旧し総勢22両が出揃う形になりました。
1957年からは車体更新が行われ63形譲りの平妻ながらも小田急顔の全金車体に生まれ変わり、同時に1820形も仕様を統一の上編入(デハ1811-クハ1861)されました。
更に台車のコイルばね化・ブレーキシリンダを台車装荷化、制動装置の電磁直通 ブレーキ化等々数々の近代化更新を受け、遂に1969年には4000形との併結によるラッシュ時8連急行運用に就く事になりましたが、空気ばねの4000形と金属ばねの1800形では足並みが揃わなかったか73年4月・5月に連続して脱線事故が発生し、以後引退する1981年まで単独で4連半固定、または2組繋げた8連を組んで運用されました。
小田急除籍後は全車が秩父鉄道へ800系として移籍し、国鉄101系改造の1000系が入線するまで同鉄道の近代化に貢献しました。
模型は鉄コレの第9弾にて製品化されたものと、後に4連固定化された後の" 最終編成"と銘打たれた4輌セット。
第9弾の仕様は貫通扉が交換前・クハの貫通路に扉付となる為、厳密には1969年(制御器・抵抗交換)以前の仕様、4輌セット側は先頭に出る運転台の貫通路が大窓仕様に交換、制御器交換後の晩年仕様。なぜか第9弾版と4両編成セットだと車体の色味が異なっており、混結に若干難があるのが玉に傷。
一応単品でセット版のデハをもう1輌入手済で、再塗装の上で晩年の4連・8連 を再現してみたい所です。
実物では相性が悪く、脱線事故が発生してしまった4000形との併結8連急行ですが、マイクロエースで製品化されていた"お買いもの号"4000形を塗り替え、当時の輸送力列車に思いを馳せるのもまた一興でしょうか。
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1900形後期型更新後 |
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発売メーカ:トミーテック(鉄コレ 小田急電鉄1900形(後期型)2両セット)
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編成: |
← 新宿
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デハ1911-クハ1956+デハ1912-クハ1957
デハ1914-クハ1964+デハ1913-クハ1963
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■作業内容:
・導入済
・動力化
・運転台側連結器TN化
■今後予定
・金属車輪交換・ウェイト追加
・T車車輪交換
・デハ1914床下機器取付
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実車は大東急からの分離独立後初の新製車として運輸省規格型の元に1949〜50年にかけて2連×10本の20輌が、1953年にも2連×4本が追加で製造され、総計は28輌。
車体こそ一回り大きくなりましたが、性能的にはそれ以前に登場した1600形と全く同一の仕様です。
姉妹系列には特急専用セミクロスシート車の1910形(→2000形)が存在し、"小田急ロマンスカー"専用形式はこの1910形が初となります。こちらは1956年に一般車へ格下げとなり、1900形に編入されました。
旧性能車ではありましたが、比較的車歴が若かった事や2100形と同様に車体が比較的大きめで収容力が大きかった事が幸いし、ABFM車が出揃ってからも細々とローカル運用で活躍を続け、最晩年には多摩線にも足跡を残しましたが、4000形初代の製造の為に主電動機を供出する事となり、1976年に全車が運用を離脱。
廃車後、一部車体や台車が富士急行・岳南鉄道・大井川鉄道・伊予鉄道へと引き取られ、主電動機を再装備して各鉄道の近代化に貢献しました。
模型は毎度おなじみ鉄コレ製品で、前面の雨どいが曲線になった1953年製の後期型晩年仕様がモデル。
1910形が小田急オリジナルとして鉄コレ化され、出ないかなーと考えていたら、やっぱり出てしまいましたねぇ。
1600に比べて大きな車体に小さな窓がどこか垢抜けず、シルヘッダ有の旧態然とした車体にアイボリー地にロイヤルブルー帯を締めた新塗装のいで立ちは厚化粧も感じさせ、正直現代の小田急車に通じる「スマートさ」とは掛け離れていますが、実車を見たことがなくとも不思議と魅力を感じていた車両です。
8連で急行運用、4連や2連でローカル運用を楽しもうと考えて一挙8輌を導入することにしましたが、実は後期型は2輌×3編成が製造されたのみ。
あと1編成は前期型と後期型の折衷の車体で製造された1500形編入車が2輌だけいた事を思い出し、細かな仕様は目をつぶって何とか事なきを得たのでした(苦笑
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2200/2220形更新後
"ABFM車" |
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発売メーカ:トミーテック(鉄コレ第3弾 小田急2200/新潟交通2220/富士急行5720)
小田急TRAINS 「小田急電鉄2200形2両セット」
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編成: |
← 新宿
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デハ2221-デハ2222+デハ2201-デハ2202+デハ2223-デハ 2224
デハ2225-デハ2226+デハ2203-デハ2204+デハ2227-デハ2228
デハ2229-デハ2230+デハ2205-デハ2206+デハ2231-デハ2232
デハ2211-デハ2212+デハ2213-デハ2214
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■作業内容:
・全奇数車パンタグラフ交換 (→Tomix製PT4212-AM)
・運転台側連結器TNカプラ搭載(一部非搭載)
・デハ2201/デハ2203鉄コレ動力(18m級)搭載
・連結面間隔短縮化改造
・前面切継ぎ交換(デハ2231)
■今後予定
・2211F/2213F/2229F/2231F再塗装
・デハ2205/デハ2213鉄コレ動力搭載
・列車無線アンテナ搭載(一部) |
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実車は日本初のカルダン駆動車走行テスト「相武台実験」の成果と2100形で培われた軽量車体のノウハウを礎として製造された、後の小田急新性能通勤車の基礎を作り上げた最初のグループとその増備車。
2200形は特有の非貫通2枚窓(所謂湘南型前面)から"ネコ"の愛称を持ち、更に小田急唯一の直角カルダン駆動の響きを奏でていた車両。
2220形はその改良増備形式にあたり、当初は4連固定で中間車にはトイレ付、前面は所謂「小田急顔」でデビュー。後年運用の変化により2200形と仕様を合わせる為2連固定化。また、2200形〜2320形までの18m級新性能車の一群は制機器の形式から、「ABFM車」または「FM車」と呼ばれていました。
晩年には多摩線でのブツ4・各停・準急運用のブツ6・2400形と併結しての変則6連・分割急行ブツ10・20m級と併結して湯本急行etc…と、20m級が主役になった後も小田急で単独や混結で編成の妙を楽しめる、中型車ならではのコロコロとした雰囲気が可愛い名脇役達でした。
小田急からは1984〜85年に除籍されましたが、車歴が比較的新しめであったことと17.5m級の車体が買われ、富士急行や新潟交通に一部が移籍の上93年まで活躍したほか、デハ2201が海老名検車区にて静態保存されています。
模型は鉄コレ第3弾にて製品化された小田急カラーと富士急カラー、そして後年小田急トレインズ発売の旧塗装車がベース。
長らくNゲージではGMの京急1000キットから改造(雰囲気が似てない…)するしかなかったのですが、後にクロスポイントより本形式のキットが登場……とはいえあまりにも値が張りおいそれと手を出せず。
そんな中電撃発表された鉄コレ版はクロスポイントより廉価なうえ、なかなかの出来の良さにあれよあれよと増えまくり。
当初10輌をかき集めブツ10としていましたが、次第に欲が出て最終的に6輌3本・4連1本が組めるまで増えてしまったのは、実車最晩年を見て育った小田急好きとしては致し方ない所かと(汗
6連1本以外には動力を入れ、2400や5000の相方として最大10連で楽しんでおります。
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2400形更新後
"HE車" |
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編成: |
← 新宿
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クハ2453-デハ2403-デハ2404-クハ2454
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■作業内容:
・小田原方クハ2454にTNカプラー搭載
・連結面の間隔調整(GMナックルカプラーへ交換)
■今後予定
・パンタグラフ交換? (→Tomix製PT4212-AM)
・車内塗装
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実車は1959年に近郊区間(サバー区間=新宿〜向ケ丘遊園間)の輸送力増強を目指して登場。
2200形を鏑矢としたABFM系列高性能通勤車の誕生でダイヤの密度を高める事には成功したものの、これら初期の高性能車は全軸駆動車であり新造コスト・保守コスト増を招いた為、加減速性能はそのままに経済性を重視して設計。
結果、MT比率を1:1とした上で高加減速機能を持たせた、当時としては非常に先進的な通勤車となり、HighEconomicalCar="HE車"の愛称が設定されました。
また、Tc車を16m級、M車を19m級とすることでM車の粘着力及び収容人数を増やす等、大型車(20m級)4輌が組成できなかった時代の苦肉の策が随所に見られ、また制御器の基本システムについては後の5000形・5200形へ改良発展型が搭載される事となりました。
登場当時は2編成併結の上でラッシュ時の切り札として、20m級車輛登場後も箱根登山線内の有効長の関係で長らく箱根湯本直通急行として活躍。
晩年は多摩線や江ノ島線・小田原線の末端区間各停運用をこなしつつ1989年に全廃。主電動機は初代4000形の新性能化更新用に流用されました。2023年現在で残念ながら車体は残っていませんが、辻堂海浜公園にてTc用台車であるFS30が保存展示されています。
模型はマイクロエースにて製品化された新色編成。
幼少の頃、湯本急行の先頭や多摩線のローカル運用等によく就いていた事を思い出しつつの購入でしたが、連結面が広すぎて興覚め。
通常の連結器ではどうにも治らない為、標準のアーノルトカプラーをドローバー化する加工を行い、連結面の短縮に成功したものの今度は一部で車間が詰まり過車輛同士がぶつかる始末。
最終的に通常カプラー受けにグリーンマックスのナックルカプラーを挿入し、ようやく納得のいく仕様になりました。
動力の仕様の問題か20m級と足並みが揃わない為、ABFM系列6連と併結の上で10連を組ませ遊んだりしています。
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2600形冷房改造後
"NHE車" |
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発売メーカ:マイクロエース (A0114改・A2185)
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編成: |
← 新宿
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クハ2651-デハ2601-デハ2701-デハ2801-サハ2751-クハ2851(A0114改)
クハ2672-デハ2622-デハ2722‐デハ2822-サハ 2772‐クハ2872(A2185)
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■作業内容:
・新宿方クハ2651先頭側TNカプラ搭載
・A0114中間2両を引き抜き、6連化、改番(余剰車は4000形へ移植)
■今後予定
・パンタグラフ交換
(A0114改→Tomix製PT4212-AM)
・スカート交換(→3Dパーツ交換)
・新宿方クハ先頭側TNカプラ交換
・ クーラー交換?(GM製) |
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実車は1964年から製造された、現在の小田急電鉄20m級通勤車の基礎を作った車両。
主に近郊区間の輸送力増強を重点に置いて設計され、またHE車の経済性思想を受け継ぎ、MT比1:1、抵抗制御でありながら回生制動付という当時としては画期的な省エネ通勤車となり"NHE車"の名がつけられました。
基本6輌単独での各停・準急運用が主でしたが、1983年以後は当時旧性能車だった4000形を除いた他形式と併結が開始され、10輌の急行運用にも従事。
最晩年には輸送形態の変化から一部編成が更新と同時に8連固定化(6M2T)。更には8連化による余剰T車をVVVF制御化の上で8連化(4M4T)した編成も登場しましたが、計画が変更され後継の3000形増備が推し進められる事となり、残念ながら2004年に廃形式となっています。
現在では辻堂海浜公園にてクハ2658が、海老名検車区にてクハ2670がそれぞれ静態保存されています。
8両編成仕様は、私が購入した初のマイクロエース完成品。そしてマイクロスパイラルにハマる一因ともなった真に罪深き車輌w
こちらはマイクロエースが鉄道模型へ再参入した頃に発売された非冷房登場時の5両仕様と同時発売された製品で、幼少の頃から実車を見てきた身としては、晩年の8連化後(いわゆるN8)の模型化である事をはじめ、要所要所の形状把握等に不満がありました。
やはり見慣れた姿は冷房化後の6連の為、A0119から中間車2両を引き抜き、更に動力車位置をA2185と同じ位置へ変更の上で原型6連の第一編成へ復元することに。
動力も最初期製品なので、フライホイールが無い割に動作はスムーズとはいえど、後年小田急トレインズ様のご厚意で別売された5000形用動力ユニットへの変更もを考えています。
もう一方の6両編成は後年の改良新製品で、2600形の最終増備車の模型化。問題のあった部分がほぼ修正され、大分記憶の中の同車に近い雰囲気になりました。
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4000形(原型/新色・冷改&新性能化後)
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発売メーカ:マイクロエース (A0115・A0116・A2176)
トミーテック鉄道コレクション(小田急4000形初代冷改4両セット)
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編成: |
← 新宿
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クハ4257-デハ4207-デハ4307-デハ4407-デハ4507-クハ4557(A0116)
クハ4251-デハ4201-デハ4301-デハ4401-デハ4501-クハ4551(A2176)
クハ4260-デハ4210-デハ4310-デハ4410-デハ4510-クハ4560(Tt製改)
クハ4058-デハ4008-デハ4108-クハ4158(Tt製)
デハ4022‐デハ4122‐クハ4072+デハ4014-デハ4114-クハ4064(Tt製改)
デハ4012-デハ4112-デハ4212-デハ4312-クハ4062(A0115改)
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■作業内容:
・Ma製クハ4257先頭側TNカプラ搭載
・Tt製先頭側TNカプラ交換
・Ma製2600中間車を挿入し5連化、Tc台車交換
(→MA製KTR3000より/中間A0115改/台車PV化/床下機器交換/冷房除去)
・Tt製M車台車交換(→Tt製TS807&PV701代用)
・非冷房通風機購入
・非冷房鎧戸袋窓購入
・非冷房扇風機カバー購入(一部)
・Tt製動力化実施(3連・6連)
・Tt製6連化パンタ台除去他
■今後予定
・Ma製パンタグラフ交換? (→Tomix製PT4212-AM)
・Ma製スカート正規品交換(3Dプリンタ製)
・Ma製小田急用新動力交換(A-0116のみ)
・Ma製吊り掛け仕様5連化(A0115一部挿入、通風機設置/パン
タ位置移設、追設 工事/塗装変更)
・Tt製吊り掛け3連クーラー取り外し&通風機設置工事
・Tt製吊り掛け3連新宿方先頭車へ屋上配線、中間運転台側連結器
TN(or KATO車体マウント?)化
・全先頭車スカート交換&取付(3Dプリンタパーツ)
・戸袋窓着色化(Tt製・IROMIZU使用)
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実車は年々激化する混雑に輸送力増強の一環として、それまで使用されたきた小型で収容能力が低いHB車・ABF車の代替として主電動機と一部機器をHB・ABF車から流用の上、その一方で2600形と同等の20m級大型車体、軽量なパイオニアV台車、M-M'ユニット化の上新たな制御器を新造し1966年に登場した車輛。経緯から"NHB車"との名称もありますが、性能的にはABF車です。
似たような経緯を持つ「釣り掛け駆動の更新車」は、当時の私鉄各社に存在しましたが、車体こそ新造でも台車や制御機器を流用した物が大半であり、台車や制御機器まで新造した例は南海の1521系、後はこの小田急4000形位だと思われます。
日本では唯一無二の釣掛駆動用パイオニアIII台車を履き、2600形譲りの非冷房大型車体で、夏場は窓を全開にして加速度重視の歯車比を生かし、他社の吊り掛け車とちょっと異なるトーンの駆動音も高らかに走っていた頃を思い出します。
1969年からは同じ釣り掛け式だった1800形を4000形と同じ電磁直通ブレーキ(HSD)化の上で併結し大型5連、ラッシュ時は更に4000形を併結し3+3+2の8連を組んで急行に運用されましたが、台車構造の差異の為か73年4月・5月に相次いで脱線が発生してしまい併結は中止。
その後変則5連化を経て1900・2100形から主電動機流用の上中間車ユニットを追加新造の上で一部編成が5連化され、最終的に5連・6連(3+3)・10連(5+5)で運用されました。
また、釣り掛け駆動である事から他の20m級新性能車との性能差異(4000形は最高速度90q、その他は110q)があったこと、小田急では珍しい奇数単位の編成であったことから新性能車との併結は基本行われませんでしたが、発電制動こそ持たないものの前述の通り制動装置は元々HSDであり、設計時から力行・制動回路の共通化は盛り込まれていたようで、事実1988年9月22日には車両故障による代走で1回だけ、4000形3連×2+8000形4連の併結営業運転が実現しています。
1985年から主電動機の老朽化対策、冷房サービスの向上、更には性能差による運用制限の撤廃を目的に、同時期に廃車が始まった2400形HE車の主電動機を譲り受け、絶縁強化の上出力アップし新性能化、同時に台車も交換(但し制御機器流用の為発電制動は無く空制のみ。またPV台車のディスクを流用した為、東急車輛系ペデスタル台車としては外側にブレーキディスクが付くかなり特異な形態)の上、冷房も搭載され5000形並みの性能を持つ新性能車へ大改装を実施。他車輛とほぼ共通運用を組むようになりましたが、発電制動が無かった関係で小田原〜箱根湯本間には入線できませんでした。
3000形の増備によりさよなら運転もなく、2005年にひっそりと全車廃車となっています。
模型はマイクロエース製初期の製品と後年改良品、およびトミーテック鉄道コレクションにて発売。
マイクロエース製の初期製品は、実車が製造された当初から部品流用で生まれた因果か、吊掛仕様は台車が丸ごと新性能化後の流用、しかも通風戸袋窓も省略される始末(当時は冬季にわざわざガラス窓に取り替えていたという話もありますが…)。
冷房改造後仕様に至っては流石に屋根上は冷房機器と配線はしっかりしていたものの、扇風機カバーが表現されていなかったり、デハの台車は専用設計なのにクハの台車がアルストムのままだったりというあまりにもお粗末に過ぎる製品でした。
とりあえず気になる所は全て弄る事に決め、間延びスカートは2600形共々3Dプリンタ製品へ置き換え、初期製品最大の問題の台車については軸距が大分短いのですがやむなくGMのTS706集電仕様品へ交換。
これでも素のアルストムモドキよりはよっぽどそれっぽくなりました。他にはふにゃふにゃなパンタをトミックスのPS4216に交換、更には初期の凸型動力をFW搭載型へ交換を予定しています。
改良型は前面や台車がよりそれらしくされたもの…ですが、クハの台車はやはり流用品。改良品と謡うからには台車も正規のモノを作成してほしかったなと思います。
また、後日中古購入した吊り掛け車仕様については、百貨店記念塗装から一般色へ戻すとともに、通風戸袋窓パーツ交換、スカート新設、一部台車交換の上、更に2600形初期製品の6連復元に併せて余剰になる中間2輌を4000形へ編入して晩年の5連に改装中。
一方のトミーテック製品は敢えてマイクロエースに真っ向勝負する形となったもの。4両編成側が初製品化された事に加え、Tc台車もちゃんとTS系で(但し流用品)、より実車に近い雰囲気に。
マイクロエースより鉄コレのほうが加工しやすい事、何より廉価だったため4連を4編成導入し、うち2編成を組み替え吊り掛け晩年の3+3の6連に、残る4連はそのまま6連にぶら下げる付属編成に、余剰になる中間車2両はもう一本の4連に組み込み、単独6連へ再編させることとしました。
…ふと見ると、トミーテック製、マイクロエース製を含めて小田急通勤車中の最大勢力に(苦笑
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5000形/5200形
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発売メーカ:マイクロエース (A2180・2181)
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編成: |
← 新宿
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クハ5060-デハ5010-デハ5110-クハ5160+クハ5251-デハ5201-デハ5301-デハ5401-デハ5501-クハ5551
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■作業内容:
・小田原方クハ5050先頭側TNカプラ搭載
・新宿方クハ5250先頭側TNカプラ搭載
・パンタグラフ交換 (→Tomix製PT4212-AM)
・5000形台車枠交換(TRAINS小田急5000/5200用パーツ)
・5000形スカート交換(TRAINS小田急5000/5200用パーツ)
・5000形・5200形動力交換(TRAINS小田急5000/5200用パー ツ)
・アンテナ交換(クハ5251・トミーテック製小田急2200用(紛失の為))
■今後予定
・5200形台車枠交換(TRAINS小田急5000/5200用パーツ)
・5200形スカート交換(TRAINS小田急5000/5200用パーツ)
・室内塗装(更新前寒色化)
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実車は1969年から急行の20m級8連化の要として4連固定(5000形)が、途中9000形増備の為に中断があったものの、1972年より仕様変更の上6連固定(5200形)が登場。
ケープアイボリーにロイヤルブルーの帯を初採用した車両であり、また小田急初の新製冷房車でもあり所謂"小田急顔"電車の中心を担った通勤車です。
前照灯のシールドビーム化、6連の5200形も4連化する等の小改造を受けつつも最晩年まで急行列車を中心に最前線で活躍。2012年3月、惜しまれつつ引退しました。
模型は電子警報を試験装備していた5060×4と、5200トップナンバーの5251×6で、両方とも旧製品。シングルアーム化後の仕様の為、好みでTomix製菱型パンタに交換しています。
2600形発売後、待ちに待った5000形・5200形という事で購入しましたが、見事に車体は2600の流用品(5200形は側面だけ新規…)。スカートも実車より長く、馬面っぽくなってしまっていました。
更に台車が片抱き式で心なしか軽快に見える2600形用の物が流用された為違和感更に倍(古)でしたが、後に小田急TRAINS・和泉多摩川店の濱崎店長のご好意でマイクロエースのパーツ分売が実現。
台車を9000用、スカートも5000用の改良版仕様へ交換を行ない、大分実車の重苦しい(笑)イメージに近づきました。
動力も旧製品の為レール面につっかえそうな凸型でしたが、こちらも後にFW仕様の改良版仕様が単品発売された為、丸ごと交換しています。
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8000形
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発売メーカ:マイクロエース (A3786・3787)
トミーテック(小田急8000形登場時4両セット)
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編
成: |
← 新宿
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クハ8053-デハ8003-デハ8103-クハ8153+クハ8260-デハ8210-デハ8310-デハ8410-デハ8510-クハ8560(Ma製)
クハ8051-デハ8001-デハ8101-クハ8151+クハ8054-デハ8004-デハ8104-クハ8154(Tt製)
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■作 業内容:
・小田原方クハ8150・新宿方クハ8250先頭側TNカプラ搭載
・パンタグラフ交換 (→Tomix製PT4212-AM)
・連結間隔短縮化(Tt製のみ)
■今後予定
・走行化(Tt製)
・小田原方クハ8150先頭部TNカプラ化
・先頭部TNカプラ化(Tt製)
・床下機器交換(Tt製デハ車のみ)
・戸袋窓着色化(Tt製・IROMIZU使用)
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実車は輸送力増強及びABFM系中型車の置換の為、1982年より製造。
前面は大型曲面ガラスを採用したスケルトン構造とし、窓周りは黒色処理として遠目から見ると1枚窓のように見せるデザインとなっています。車体構成も特徴的で一見するとただの鋼製車ですが、屋根と床板、車体骨組みは長寿命化を狙いステンレス鋼が採用された、いわば現代版"偽スチール車"。また、制御機器は電子技術の進歩により高速域からの回生ブレーキ常用も可能となった為、 9000形と同様に界磁チョッパ制御を採用。
以後の1000形・2000形はこの8000形及び9000形のデザインを踏襲しているようです。
2002年からは大規模更新工事が開始され、車体更新に留まらず3000形と同等のVVVF制御機化や一部車輛の電装解除等大規模に施行。
2023年現在では徐々に廃車も進行しており主力の座は後継の二代目5000形に譲ったものの、最後の鋼製車としてもう暫く活躍を続ける、と思われていたところ、2023年9月になんと西武鉄道への譲渡が決定。
2024年度中には国分寺線を走る"西武"8000形?がお目見えすることとなります。
模型は小田急監修(?)の元、マイクロエースから小田急標準色及びイベントカー(ポケット号)色が製品化。私は標準色の10輌を入線させましたが、シングルアーム化後の仕様だった為好みで菱型パンタに交換。前面運転台側窓下に黒い保護板(?)が張られた姿なので、時代的には比較的後年の仕様という事になります。
とてもかっちりとした出来で、問題は初期製品との差異が目立つ事でしょう(笑
ポケット号仕様も機会があれば入線させてあげたい所です。
一方のトミーテックからも初期型と銘打たれた仕様が発売。こちらは4連のみ 購入し、増結用の相方としています。
車体の印象把握こそ良いものの、床下機器があまりにも適当お粗末(特にデハ)な為、中間車のみですがGM製小田急8000形完成品の床下機器へ交換を行っています。
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9000形
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発売メーカ:マイクロエース (A6195・6196)
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編成: |
← 新宿
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デハ9005-デハ9105-デハ9205-デハ9305+デハ9407-デハ9507-サハ9557-サハ9657-デハ 9607-デハ9707
デハ9006-デハ9106-デハ9206-デハ9306
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■作業内容:
・デハ9305・9006・9306・9407先頭側TN化
・パンタグラフ交換 (→Tomix製PT4212-AM)
■今後予定
・デハ9305,デハ9006先頭車化復元改造? |
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実車は営団地下鉄千代田線乗り入れ用途として、小田急線内の高速性能と千代田線内の高加減速性能を併せ持つ通勤車として1972年登場。翌年、小田急としては唯一の第13回ローレル賞を受賞。
特有の額縁形前面は乗入先の当時の営団最新鋭車、営団6000形のデザインに劣らないようにとの配慮で採用され、後に他社車輛のデザインにも大きな影響を与える事になりました。また、大きな前面窓と白っぽい車体色から"ガイコツ" の愛称があります。
性能面では小田急初の界磁チョッパ制御を採用。制動装置も速度によって発電(75km/h以上)と回生(75km/h以下)を使い分ける機構を持ち、乗入準急や線内急行だけでなく、電気機関車全廃後は新車や車輛メーカ入出庫のエスコート役としても長年活躍しました。
しかしながら特殊な制御装置であった事、初期の一段下降窓車特有の車体腐食等による老朽化が進んだことや3000形の大量増備もあり、2006年に先輩格の5000形よりも早く全廃。現在は海老名検車区にてトップナンバーのデハ9001が静態保存されています。
模型は小田急監修によるマイクロエース完成品として登場。かっちりした出来で、往年の雰囲気が伝わる製品。8輌固定編成はシングルアーム化後の仕様だった為、好みで菱型パンタに交換しています。
惜しむらくは何故初回に乗入仕様を製品化しなかったのかと…orz
仕方なく6コテと8コテを1セットずつ購入。その後乗入仕様版が製品化されましたが、値上がりが酷いこともあり購入するのも癪なので、手元の8コテ仕様を組み替え、点灯側は乗入仕様へ改装。
中間閉じ込め運転台側は、アンテナ・前尾照灯、ライトユニットを復元の上で先頭車として復元加工中です。
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1000形
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発売メーカ:グリーンマックス
(50504・30510:Odakyuロゴ有)
(30568・30569:Odakyuロゴ無)
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編成: |
← 新宿
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クハ1051-デハ1001-デハ1101-クハ1151+クハ1256-デハ1206-デハ1306-サハ1356-デハ1406-クハ1456(Odakyuロゴ有)
クハ1065-デハ1015-デハ1115-クハ165+クハ1255-デハ1205-デハ1305-サハ1355-デハ1405-クハ1455(Odakyuロゴ無)
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■作業内容:
・小田原方クハ1151、新宿方クハ1256運転台側連結器交換(TN化)
・小田原方クハ1165、新宿方クハ1255運転台側連結器交換(TN化)
■今後予定
・Odakyu新ロゴ除去?(1051*4・1256*6編成)
・パンタグラフ交換?(→PT42/1051*4・1256*6
編成)
・パーツ取り付け
・戸袋窓着色(IROMIZU使用)
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実車は1988年(昭和63年)10000形HiSEと共に登場した、小田急初のステンレス鋼体・GTOサイリスタVVVF制御を採用した車両。
通勤車としては珍しくかなり外見に気を使った車輛で、小田急が当時の東急車輛に「世界で最も外観の美しい電車にしたい」という注文を付けたというのは知る人ぞ知る話。
ステンレス車の割に、鋼製車と連結していても落ち着いて見えるのはそのせいかもしれません。
1次車の4連は地上専用とされましたが、2次車以後製造分は9000形の後継として1990年から千代田線乗入運用にも抜擢。しかし後継の二代目4000形の導入により、2015年現在では全車が地上運用専用となっています。
登場から既に30年近く経過(!)しており、制御機器と内装を大規模リニューアルする工事が進行中で、特に制御機器は三菱電機が開発した高速鉄道(直流1500V)向け大容量フルSiC素子VVVFインバータを世界初採用。
2023年現在、ワイドドア車や8連固定車他一部編成に廃車が出ていますが、今後も主力の一翼として運用されてゆくと思われます。
模型は長らくグリーンマックスが板キットとして発売していましたが、遂に今回新動力を引っ提げて完全リニューアルを果たした完成品として発売が決定。出来はとても繊細で、GMの本気が垣間見える出来です。
ただし最初発売された仕様が乗入運用離脱後の現在の姿(PT71パンタ搭載、Odakyuロゴ貼り付け後、制御機器更新前)の為、登場当時や往年の千代田直通を再現したい私にはちょっと残念でした。後に千代田乗入仕様も後追いで製品化されまして、こちらも導入しましたが……最初から原型仕様だして欲しかったのが本音だったり。
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