アイツの姿を視界に入れてから、身体の奥に棘が刺さったような感覚が抜けない。
なんなのだろう……これは。
各種装備を収納し、周囲の雑踏に紛れて帰還したのはそれから2時間、夕刻にさしかかろうという時間だった。
「どうしたティル?顔色が優れんが。
ま、今回の件についちゃお前さんに非は無ぇ。相手の運が良かっただけだ」
「……はぃ」
ベースハウス――"Lunatic"はいつもの仮の姿を取り戻し、一足先に戻っていた"店長"は、字名通りにマスターとしてグラスを磨いていた。
長身で若干小太りな黒髪のこのヒューマンの中年男性は、僕の所属するチームの実質的な纏め役。長年"組織"の裏の仕事に従事し完遂してきた、部下からの信頼も厚いいわゆる"叩き上げ"の隊長だった。
「おいおい。んなシケた面してりゃ、なんかあったと宣伝してる様なもんだぜ?490にバレない内に、辛いんだったら早めに休め」
「……身体的には問題ありません。いつもの発作が出ただけです」
「……そうかぃ。とりあえず、下拵え手伝えや」
「はい」
そう。何も問題はない。酷使した時の発作が出ただけだ。
僕の身体は、一般的なニューマンより強化されているとはいえ、生体である以上必ずどこかに無理が来る。各種薬品で抑えてはいても、発作的に一気に吹き出す時があるのだ。それが、丁度さっきのタイミングだっただけの事。
(……ッ)
だが、言った側から指先が小さく震える。
やはり……早めに休んだ方がいいのかもしれない。
与えられたノルマをこなした上で、僕は自室に引き上げさせてもらった。
(……)
照明を点けないままの部屋の中。僕はベッドに座り、天井を見上げる。
くらり、と唐突に視界が回った。たまらずその場にしゃがみこむ。
慣れた感覚、それでいていつまでも慣れない感覚――神経系の酷使から来る立ち眩みだった。
激しい吐き気と疲労感に、脂汗が流れる。
(く、ぅ……)
神経系と筋力系ブーストをされているとはいえ、もちろんいい話ばかりでもない。
生体の集合体である僕の身体は、そういったブーストの弊害か疲労から来る立ち眩みや偏頭痛、筋肉疲労で動けなくなる時がある。
各種薬品を飲用して誤魔化してはいても……時たまこういう状態になるのだ。
くらりくらり、回る視界と頭痛。
何かを思い出せそうなのに、思い出そうとするとこめかみがひどく痛む。
「……っ」
我慢しきれず、胸元に下げてあるピルケースから錠剤を取り出し、飲み込む。
極度に過敏になりすぎた神経系を沈静化する作用ががあるけど、多用はするなと言われている薬。
半ば痛みを麻痺させるような物だから、麻薬みたいな物なんだろう。
摂取し続けていることに不安が過ぎるが…。
「……今更、だな」
――そう、今更だ。僕は組織の「部品」の一つ。
数多くの部品の内の、外装を支える螺子の一つが欠損したところで――全体には大して影響が無いのと同じように。
僕の身体が壊れようが、僕が死のうが……心配する人間は誰一人として居ない。
部品が外れるなり、壊れるなりすれば、交換されるだけだ。
(……)
仲間とは、所詮代償の裏返し。
相手に下心を抱いて、利害が一致すれば協力する……それくらいの物。
そんな下らないものなら、僕はいらない。
「……今まで僕は、一人で生きてきたじゃないか」
頼れるのは自分だけ……それでうまくやってきてたじゃないか。
今度のターゲットだって―唯一発、撃ちこめば終わり。
「それで済ませてきたじゃないか……」
望んだところでそれが空から降ってくるわけでもない。
いつも通りだろう?
タイミングが合わずに期間が延長される事など。今更何故それが納得できないのだ。
(何を焦ってる……?)
……ここ数日、僕はどこかがおかしくなっている気がする。
例えば、銃のグリップを固定するネジが若干緩んだとかその程度の。だが、緩みを放っておけばやがてガタは大きくなり、今は全体的には正常であっても、いしつか取り返しがつかなくなる。
それならば、締め直せばいい。
不要なものは排除する――思考だって同じ。いつも通りにやればいい。
(――休もう)
恐らく、疲労が溜まったのだろう。
身体を休めて正常な思考が出来るようになれば、今の焦りは綺麗に消えるはずだ。
僕は強引に目を瞑り、考える事を止めた。