交錯すること十数回。
残っていた照明の下へ怪物が足を踏み出し、ようやくどうっと倒れた。
全体像が明らかになる。
「「「うげ、気色悪っ!」」」
簡単に言えば、狼なのだろうか。大きさは優に3倍を超えているが。
しかし、どう見ても哺乳類には見えなかった。単眼を複数持つ哺乳類など聞いた事がない。
外皮の一部は捲れ上がり、内部の筋肉組織が見えている。
体のあちこちにある切り傷から流れ出る体液は……やはり赤ではなく、緑色だ。
どう贔屓目に見ても、この禍禍しさを持つ獣は環境適用の為だけの品種改良には到底思えなかった。
「こいつは……変異獣(アルタード・ビースト)か?」
「いえ、殆ど新種の生命体といっても差し支えないでしょうね。原種を特定するのが難しいくらいです。
生体兵器……と言った方が正しいでしょうね」
DNAの照合をしていたイー・フリーナが、お手上げだというようにウィル達に振り向く。
「……生体兵器、ねぇ……」
調子っぱずれの口笛を吹いてシーガルはポツリと呟き、後ろにいるアムを見た。
「ヒューマンが…人間がこんな事をしなければ…こんな事には…。あなただって生まれなくても良かったのにね……。
ごめん…ごめんね……ぐすっ……」
アムはその名も無き生物―研究対象α113―の骸の傍らでぽろぽろと涙を流していた。
生まれてくるべきではなかった命。奪われなかったであろう命。たとえそれが自分を狙っていたとしても、命を奪ってしまったことには変わりない。
殺めてしまった事や、ここで消えていった命に対する悔やむ心と、創り出してしまったオプトへの憎しみと。
いろいろな感情がごっちゃになって、涙が止まらなかった。
ウィルがその細い肩を、軽くぽんぽんとたたく。それが引き金になったのか、アムはウィルの胸にすがりつき声を上げて泣き始めた。
「泣けるだけ泣いてやれ。少しは供養になるだろう」
アムの頭を撫でながら、ウィル。そうでも考えてやらねば、あまりにもこの現状は悲惨すぎた。
しかし、悲しんでいる時間は彼らにはあまり残されていなかったのである。
腕の端末を確認していたイー・フリーナが、異変に気付いてウィル達へ叫んだ。
「ウィルさん、アムさん。
残念ですが、あまり時間が無いようです。急いで脱出しないとこの区画、孤立してしまいます!」
「なんだと?!」
「トコトンいけすかねぇジジイだぜ、ったくよぉ!!」
事の重大さに気が付いたソーマがここぞとばかりに悪態をつく。
そう、オプトは何事にも完璧を求める人物だった。α113が彼らを殲滅し切れなかった時の事も、当然考えていたのだ。
そして、その方法とは――。
「ちっ、やってくれるな……。
アクセスできる通路上の隔壁全てを閉鎖、しかる後に送風機を逆転させる、と。
閉鎖空間での排除方法としてはお約束ではあるが、まんまと罠にはめられたな……」
コントロール・ルームを出て、赤い警告灯が明滅している通路を全力で駆け抜けながら、ウィルは苦虫を噛み潰したような表情をその顔に浮かべた。進むそばから隔壁が閉まりだしている。
「ちきしょ、こりゃ一世一代のピンチってヤツかぁ!?」
「ウィルさん!前方300にアメンボ!!」
「だぁぁ、よりによってこんな時に!」
エマージェンシーモードが起ち上がっている関係上、セキュリティは自動停止するはずだが…
何の弾みかまだ起動しているらしい。
『警告。侵入者ハ速ヤカニコノ場所ヲ離レナサイ。従ワヌ場合ハ第一種攻撃ヲ…』
「離れてるから見逃して…って見逃してくれるほど理屈通じる奴らじゃねぇか!」
「俺に任せろ、ウィル兄!!」
「シーガル、頼む!!」
「ぬありゃぁぁぁぁぁ!!!!」
加速した勢いのまま、ギガッシュを横薙ぎに振る。
風圧と剣の重量に上乗せされた重い一撃で大半が吹き飛ぶが、数体が残ってしまった。
立ち止まるのは命に関わるので、シーガルはそのまま通過していく。
「ち、全滅し損ねた!」
「ヘタクソッ!チョコパフェに蜂蜜かけたくらい甘いぜ!食らえ、ラゾンデっ!!!」
むしろ待ち望んでいたように、間髪いれずにソーマが走りながらテクニックを展開。
彼の精神力に呼応した端末の魔力回路が活性化し、高圧電力を帯電した空気を前方へとぶちまけた。
弾け飛ぶように一瞬でバラバラになるアメンボ達。
「さすが俺の弟子を名乗るだけのことはあるか…」
「へっ、あんたにはいろいろ教えてもらったからな!!」
「おうよ」
ウィルの満足そうな表情に、ニッと笑いあうシーガルとソーマ。
その時。
「きゃあぁっ?!」
「イフ姉っ!!」
後方では、いつの間にやら天井に展開していた浮遊型ガードロボの攻撃をアムをかばう形で食らい、
イー・フリーナのフェイスカバーが半分近く吹き飛んだところだった。
少々煤けた、素体の顔があらわになる。
「乙女の顔を傷つけた罪は、万死に値します!!吹き飛びなさい!!」
ダムダムダムッ!!!
天井へ向かい、ヤスミノコフの正確な3連射。
強装弾の衝撃波であらかた吹き飛んでいく。
口径の大きな銃で、しかも走りながら撃っているのにも関わらず全く手許がぶれないのは
流石アンドロイドレンジャーと言うべきか。
「イフィ、無事か?!」
「大丈夫です!」
「このまま駆け抜けるぞ!」
「「「「おうっ!!」」」」
しかし、オプトもそこまで甘くはなかったようだ。
意地が悪いことに、最後の隔壁は最初の隔壁が閉まるタイミングで閉まってきていたのだ。
ようするに、もう殆ど閉じかけていたのである。
「畜生!ここまで来てっ!!」
「…っ!」
「!!っ、イフィ、無茶だ!やめろ!!」
非常隔壁が閉まる直前、イー・フリーナは自分の体を潜り込ませ、無理やり扉を押し広げた。
「…皆さん、ここは私が抑えます!!さぁ、早く!!」
「そんな事したら、イフ姉が……!!」
「私の事はどうでもいいです!
諸悪の根源を…叩き潰して下さいっ!!……ぐっ?!……ああぁっ?!」
「イフィィッ!!!」
拮抗するパワーに耐え切れなかったのだろう。
火花と共に彼女の右腕がひしゃげ、人工筋肉が裂ける音と共に冷却用液体金属が流れ出し、軽量複合合金製の内部骨格が折れて外に突き出してしまう。その光景に思わず目を背けるアム。
しかし、イー・フリーナは足りなくなった腕の代わりに、今度は左手と右足で閉まろうとする隔壁をしっかり押さえつけた。
ウィルたちの叫び、自身の損傷・過負荷による警告信号、全てを無視するかのようになおも彼女は叫ぶ。
「……あんな技術は…後々皆が不幸になるだけです!!ウィルさんも、アムさんも見たでしょう?!
私達アンドロイドは壊れても…たとえ死んでも記憶メモリさえ残っていれば修理できますが、ヒューマンやニューマンの皆さんは壊れたらそれっきりです!同じ人には二度と出会えないんです!!
お願い!もうこれ以上、無意味な犠牲者を増やさないでっ!!」
泣き叫ぶかのように言う彼女の脳裏には、一つの光景が蘇っていた。
それは、一人の女性型アンドロイドの、優しすぎるが故の悲しい思い出。
まだ彼女がイー・フリーナと名乗る前。シリアルナンバーで呼ばれていた頃の話だ。
スパイなどの任務にも就けるよう、違法を承知で際限なく人間の、それも17〜18歳の美少女を模した外見と、正確無比な射撃能力、柔軟な判断、思考能力、ヒューマン並みの感情システムを持つ高機能AI、そしてヒューマンの10倍以上の身体能力を併せ持つ次世代型試作軍用レイキャシールのテストヘッド、"イーフリートシリーズ"として造られた彼女は、軍でのテスト運用の際、警察からの要請で重犯罪人を狙撃せよ、という任務を任された事があった。
標的にされたニューマンの少年の、撃たれた時のあの瞳。それがメモリーに焼き付いてしまったかのように忘れられなかった。
その後、彼は重犯罪人などではなく、万引き程度の罪しか犯していなかったという話を耳にする。
つまりは少年は彼女の性能を試すためのモルモットにされたというのである。事実を知った時、感情を司る部分に今までにない激情が突如発生したことを彼女は感じ取った。
その感情に、開発が追いつかず一時的に搭載してされていた単純な機能しか持たない思考システムが負荷に耐えきれずショート、その激情の意味すら理解できぬまま彼女はフリーズを起こしてしまう。
スリープモードに入ったまま再起動すら出来なくなった彼女を軍はプログラムのバグと判断、失敗作として廃棄を決定した。試作機のため、修復する場合のコストと新造したときのコストがあまりにも開きすぎるという判断の上での決定だった。
モードの解除も自ら出来ず、廃棄倉庫にて解体されるのを待つばかりだった彼女を拾い、感情システムを始めとしたパーツを新しい物に交換・修理して、更に一般自立型ホームドロイドとして住民登録すらしてくれたのが当時軍を退役したばかりの2代目WORKS隊長であり、ウィルの実の父親であるアレスタ・ハーヅウェルとその妻ルーフィアだった。
現在の追加外部装甲もその時与えられたものだ。
夫妻の手で再び目覚めた時、彼女はシリーズ名称をもじって"イー・フリーナ"と名乗る事にした。
自分が軍事用に造られた、"兵器"であったことを忘れぬ為に。
その時から彼女は夫妻への恩返しの為、殺してしまった少年への罪滅ぼしの為、自分の知りうる限りの身近な者達を全身全霊をかけて守ろうとするようになったのだ。
『……これで、少しは借りを返せるんでしょうか……?』
半ば砕けた、彼女のフェイスマスクの下、素顔の青緑色の瞳から涙が一筋、頬に流れて落ちる。
「お願いです…私は大丈夫ですから……。
絶対帰りますから!だから……!!」
無機質なモノで構成された、だがしかし暖かくも豊かな彼女の感情システムは、喜びや悲しみ、その表情だけでなく、涙すら再現できる。
それが造られた物だと思うと哀しくもなったが、今この時の彼女の涙は、ヒューマンやニューマンと―――意志ある者と何ら代わらないものだった。
「……わかった。
約束したからな。絶対帰ってこいよ、イフィ!!
行くぞ、アムっ!みんな!俺に続けっ!!!!」
「イフ姉…絶対だよ……!」
「すまん!」
駆け出して隔壁の向こうへ消えていく皆をイー・フリーナは泣きながらも笑って見送った。
「頑張って、行ってらっしゃいませ!!」
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